霊源院 〔建仁寺〕 (京都市東山区) 
Reigen-in
Temple

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山門、方丈







 建仁寺境内の南東に塔頭・霊源院(れいげんいん)がある。京都最古の禅寺といわれている。 
 臨済宗建仁寺派、本尊は薬師如来。
◆歴史年表 室町時代、応永年間(1394-1428)初期、一庵一麟(いちあん いちりん)が、両足院開基・龍山徳見(りゅうさん とくけん)を勧請開山として創建したともいう。当初は霊泉院と称した。
 応永年間(1394-1428)、1400年頃、在先希譲(ざいせん きじょう)により、建仁寺171世・瑞巌龍惺(ずいがん りゅうせい)の軒号「霊源」に因み、院号も霊源院に改めた。
 鎌倉時代末-室町時代、五山文学の最高峰の寺院の一つとされ、「建仁寺の学問面」の中核となる。
 天文年間(1532-1555)、焼失する。
 安土・桃山時代-江戸時代、慶長年間(1596-1615)、柳沢堅物により再建された。
 近代、1872年、旧地を窮民産業所(祇園町南)敷地に譲り、現在地(塔頭・妙喜庵跡)に移る。
 1873年、境内上知になり、売却費を窮民産業所に寄付するともいう。
◆一庵一麟 南北朝時代-室町時代の僧・一庵一麟(いちあん いちりん、1329-1407)。天祥一麟。九条道教の子。龍山徳見の法嗣。薩摩・大願寺、万寿寺、建仁寺、天竜寺、南禅寺住持。文筆に秀でた。
◆在先希譲 南北朝-室町時代の僧・在先希譲(ざいせん きじょう、1335-1403)。越中の生まれ。竜泉冷淬(りゅうせん りょうずい)の法嗣。頑石曇生(がんせき どんしょう)、月心慶円らに学ぶ。山城・三聖寺、普門寺、東福寺の住持、東福寺・海蔵院に退居した。
◆龍山徳見 鎌倉時代の僧・龍山徳見(りゅうさん とくけん、1284-1358)。下総国に生まれた。鎌倉・寿福寺の寂庵上昭に師事し出家、円覚寺の渡来僧・一山一寧(いっさん いちねい)に参禅する。元に渡り、天童山の東岩浄日、古林清茂などに参禅。黄龍、栄西などに臨済宗を学び、兜率寺に住した。当時、中国で衰微していた臨済宗黄龍派を中興した。元での40年の滞在の後、1349年、帰国し、足利尊氏の弟・足利直義の招きにより、建仁寺、天龍寺、南禅寺に住した。漢詩文に優れた。建仁寺・知足院に葬られる。
◆瑞巌龍惺 室町時代の臨済宗の僧・瑞巌龍惺(ずいがん りゅうせい、1384-1460)。和泉の生まれ。建仁寺・一庵一麟に師事、その法嗣。建仁寺171世、南禅寺の住持。法名は竜章。道号は仲建。
◆慕哲龍攀 室町時代の臨済宗の僧・慕哲龍攀(ぼてつ りゅうはん、生没年不詳)。東下総守師氏の子。兄・江西龍派とともに木蛇寺で出家、建仁寺住持。漢詩に優れ、幼い一休宗純に漢詩を教えた。臨済宗黄龍派。
◆仏像 鎌倉時代(13世紀)作の「毘沙門天立像」(重文)は、「中巌円月坐像」(重文)の胎内に納められていた。1996年の坐像修理の際に発見された。左手に水晶の玉を掲げている。その中に最澄(767-822)が持ち帰ったという仏舎利が納められている。鋭い眼光を放ち、左腰を傾けている。慶派仏師作による。胸甲を吊る帯部分は金属製による。木造、彩色、玉眼、像高37.5㎝。京都国立博物館寄託。
◆茶室 茶室「也足軒(やそくけん)」は、1912年に建てられた。四畳半、二畳台目、方丈内に躙口が南面してあり珍しい例という。
 方丈南にもう一つの茶室「妙喜庵」がある。壁の一面に花頭窓が開けられている。
◆文化財 南北朝時代(14世紀)、「中巌円月坐像」(重文)は、南北朝時代の肖像彫刻の傑作といわれている。胎内仏として「毘沙門天立像」(重文)が納められていた。木造、彩色、玉眼、像高81㎝。京都国立博物館寄託。
 室町時代、1474年、正宗龍統筆、紙本墨書「与龍崇之安名」。
 室町時代、1535年、正宗龍統筆、紙本墨書「与龍孫之安名」。
 室町時代、1515年、正宗龍統筆、紙本墨書「常庵龍之安名」。
 室町時代、1443年、足利義勝筆、絹本墨画「達磨図 江西龍派賛」。
 室町時代(15世紀)、紙本淡彩「文殊像 江西龍派賛」。
 竜泉冷淬(?-1366)の詩文集『松山集』草稿本(重文)。
 「一休禅師墨書」。当院に五山派の代表的学僧が多く住した。大徳寺の幼年の一休宗純(1394-1481)も当院の慕哲龍攀より作詩を学んだという。
 7代将軍・足利義勝が、10歳の時に家臣に描き与えたという墨画「達磨図」。
 水墨画「縄衣文殊像」、「柳澤元政夫妻像」。
◆庭園 方丈の南、西に枯山水式庭園「甘露庭(かんろてい)」がある。苔地に、石、飛石、蹲踞、花梨などの植栽がある。


*普段は非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都の禅寺散歩』『旧版 古寺巡礼京都 6 建仁寺』『建仁寺』『建仁寺 建仁寺と栄西禅師』『京都・山城寺院神社大事典』『京の茶室 東山編』『第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 ガイドブック』



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「妙喜世界」の扁額、阿閦(あしゅく)仏は、「東方妙喜世界(とうほうみょうきせかい)」、東方浄土に住むとされる。五智如来の一仏であり、触地印(右手を下げ指先が地に触れる)を結び、左手で衣の端を握る。

「関」、玄関(げんかん)の意味。玄関は禅宗の寺院建築より生まれた。「碧巌録(へきがんろく)」によれば、玄関とは、玄妙なる関の意味であり、禅門に入り厳しい修業に耐える決意を意味している。玄関は行の入り口でありまた出口にもなる。「関」の一字は常に初心に還ることを自戒させている。

方丈

一休宗純筆墨蹟「錦心繍口向人開」

茶室

茶室

もう一つの茶室

方丈、庭


庭、飛石、降り蹲踞

霊源院〔建仁寺〕 〒605-0811 京都市東山区小松町584,大和大路四条下る (建仁寺境内)  
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