東光寺 〔東福寺〕 (京都市東山区)
Toko-ji Temple

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庫裡

 東福寺境内の南西に塔頭・東光寺(とうこうじ)がある。 
 臨済宗東福寺派。本尊は文殊菩薩半跏像。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 鎌倉時代、1311年、東福寺7世・無為昭元(むい しょうげん、大智海)により開創された。当初は、現在地の北に位置していたとみられる。
 その後、衰退、あるいは廃寺になる。
 江戸時代、中興開山・古林智教禅師により復興した。
 近代、1868年、堂宇を長慶院(東光寺に合したとも、その後廃寺)に譲り、東光寺を曹渓院に合併する。
◆無為昭元 鎌倉時代の臨済宗の僧・無為昭元(むい しょうげん、1245-1311)。京都に生まれた。東福寺・円爾(えんに)に参じ、その法嗣。博多・承天寺、1300年三聖寺の住持。1305年東福寺7世。1307年鎌倉・円覚寺住持、1311年相州・宝満寺に移り当寺で亡くなる。東光寺に葬られる。
 高僧として知られ、虎関師錬(1278-1346)、無徳至孝(1284-1363)、寂室元光(1290-1367)らも参じた。1326年謚号の智海に対して、東福寺23世・無徳至孝が大の字を加えるように主張した。第96代・後醍醐天皇は、当初、前例の無い三字諡号に難色を示したが、中国の例に倣い1329年に謚号「大智海禅師」を贈る。東光門派の祖。
◆古林智教 江戸時代の臨済宗の僧・古林智教(?-1722)。東福寺・東光寺の中興開山、愛媛・海江山自性寺の中興の祖。
◆建築 山門、庫裏、本堂がある。
 本堂は6室ある禅宗の方丈建築による。建立年代は不明。
◆仏像・木像 仏間に本尊の「文殊菩薩半跏像」(22.8cm)を安置する。室町時代後半、院派系仏師作とみられている。木造、寄木造、玉眼嵌入。
 仏間、須弥檀に開山の「無為昭元像の頂相」(83.2cm)が安置されている。室町時代の作とみられる。法衣の上に袈裟掛け、曲ろく(椅子)に座し、裾・裳裾を前に長く垂れる。右手にあった払子か竹箆は失われている。頭部に補修があり、後補ともいう。写実的な衣紋、截金彩色が残る。木造、針葉樹材、寄木造、玉眼嵌入。
 中興開山の「古林智教坐像」(31.8cm)は江戸時代作とみられる。木造、寄木造、玉眼嵌入。
 須弥壇の左に安置される「直山和尚坐像」(72.7cm)は、室町時代作という。現在地にあり廃絶した長慶寺の開山像になる。木造、桧材、寄木造、玉眼嵌入。
◆庭園 方丈の南、東に枯山水式庭園がある。苔地、白砂、松・楓などの植栽がある。11月下旬に5本の鮮やかな紅い色合いの楓の紅葉が楽しめる。
◆葵正観世音 近代、1883年、政治家・山岡鉄舟(1836-1888)が国事に殉じた人々の菩提を弔うためにとして臨済宗国泰寺派の全生庵(東京都台東区谷中)を創建した。かつて江戸城の守本尊とされた葵正観世音を遷して本尊にした。
 像はかつて日向国・大慈寺にあり、後に東福寺塔頭・長慶寺を経て、豊臣家に嫁いだ徳川家康の孫・千姫(1597-1666)により江戸城に迎えられた。千姫没後、像はその侍女が開いた大塚・大慈寺に姫の遺品とともに安置され、「葵観音」と称された。近代、大慈寺は廃寺になる。像は山岡鉄舟が自邸に遷し、その後、創建した全生庵本堂に遷し安置したものという。
◆年間行事 特別拝観(11月1日-11月30日、期間中に休みあり)。


*普段は非公開
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の禅寺散歩』『第45回記念京都非公開文化財特別公開 拝観の手引』、当院サイト


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方丈内

東の庭園

南の庭園

蹲踞
東光寺 〒605-0981 京都市東山区本町15-804  075-541-7601  10:00-16:00
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