聖徳寺 (京都市下京区) 
Shotoku-ji Temple
聖徳寺 聖徳寺
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 聖徳寺(しょうとくじ)は、厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)ゆかりの寺とされる。山号は大悲山、院号は上宮王院という。
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。  
 西国四十八願所 第一番札所。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 飛鳥時代、厩戸王(聖徳太子、574-622)が六角堂の創建に際し、この地に自らの館舎を建てたという。良材を集めて寺を建て、自作像を安置したという。
 後(年代不詳)、太子像を安置し、寺に改めたともいう。
 江戸時代、1622年、聖誉貞安が中興し、浄土宗に改宗した。
 1788年、天明の大火により焼失した。
 1797年、暢誉が再建する。
◆厩戸王 飛鳥時代の皇族・政治家の厩戸王(うまやど の おう、574‐622)。聖徳太子(しょうとく たいし)、上宮太子(じょうぐうたいし)。第31代・用明天皇の皇子、母は皇宮・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。593年、皇太子となり第33代・女帝推古天皇の摂政。594年、仏教興隆の詔を出した。600年、新羅征討軍を出し交戦したともいう。601年、斑鳩宮を造営する。602年、再び新羅征討の軍を起こしたともいう。603年、冠位十二階を定め、604年、十七条の憲法を発布、君、臣、民が和し仏法に則る立国の根本義を明らかにした。605年、斑鳩宮に遷る。607年、小野妹子を国使として遣隋使を派遣、以後、対等外交が成る。609年頃、天皇と皇太子は鞍作鳥(くらつくりのと り)作の丈六仏像を法興寺金堂に納める。620年、馬子と議し歴史書編纂の初例『臣連伴造国造百八十部并公民等本記』を録した。墓は磯長墓(しながのはか) と呼ばれ大阪府南河内郡太子町にある。
 595年、高句麗の僧・慧慈、百済の僧・恵聡が渡来し法興寺に住して仏教を広めた。皇太子は593年、四天王寺、607年、法隆寺を建立し、仏教経典の注釈書『三経義疏』を著し、仏教普及に尽力した。
◆聖誉貞安 江戸時代の浄土宗の僧・聖誉貞安(生没年不詳)。詳細不明。1622年、聖徳寺を中興した。
◆建築 本堂、庫裏、太子堂、庚申堂が建つ。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都大事典』『京都歴史案内』


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「聖徳太子御旧蹟 四十八願所第壱番」の石標

庚申堂

庚申堂

庚申堂
聖徳寺 〒606-8253 京都市下京区坊門町,綾小路大宮西る南側 
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