常光院 〔建仁寺〕 (京都市東山区)
Joko-in Temple

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 建仁寺境内の北に境外塔頭・常光院(じょうこういん)がある。 
 臨済宗建仁寺派。本尊は観音菩薩。
◆歴史年表 室町時代、建仁寺24世・温仲宗純(おんちゅう そうじゅん、?-1511)により創建された。開山は三江紹益とも、また、三江は3世ともいう。
 1494年、1493年とも、温仲は、今熊野より福聚院を移して合した。
 1547年、木下茂叔が三江紹益のために改造する。
 1552年、焼失する。その後、仮立となる。
 安土・桃山時代、1594年、三江紹益は常光院に滞在した徳川家康に諸書を講義する。
 江戸時代、1604年、三江紹益に帰依した北政所の兄・木下茂叔(家定)により再建された。寺名は法名「常光院前二位茂叔浄英法印」に因む。本堂、書院、鐘楼、折玄関、庫裏が建てられた。
 近代、1872年、春松軒を合併する。窮民産業所のために旧地(祇園町南側)より替地を得て現在地に移された。(「坊目誌」)
 現代、2001年、庫裏が修復される。
◆温仲宗純 室町時代の臨済宗の僧・温仲宗純(おんちゅう そうじゅん、?-1511)。建仁寺の舂夫宗宿(しょうふ そうしゅく)の法嗣。明に渡り、帰国後、建仁寺242世、南禅寺の住持。妙心寺派(開山派)。
◆木下家定 安土・桃山時代-江戸時代の武将・木下家定(きのした いえさだ、1543-1608)。杉原定利の子、豊臣秀吉の正室おね(北政所、高台院)の実兄。秀吉の直臣となる。長男の勝俊は歌人・木下長嘯子。七男・周南紹叔。播磨、肥後守、中納言、1595年、姫路城主、大坂城の留守居などを歴任。1600年、関ヶ原の戦で高台院を警護、その後、足守城主。高台寺建立に伴い、境内に居館を建て高台院を守護した。
 常光院に墓がある。戒名「常光院前二位茂叔浄英法印」。晩年の肖像画も残る。
◆三江紹益 室町時代-江戸時代の臨済宗の僧・三江紹益(さんこう じょうえき、 1572?-1650)。京都の生まれ。道号は友林、友竹。1606年、建仁寺に入山。建仁寺295世、開山として1602年、慈芳院、1604年、常光院、1608年、久昌院、元和年間(1615-1624)、円徳院、1616年、月真院、春光院、岡林院などがある。
 北政所が帰依した。木下家定(北政所の兄)と親交あり、その子は紹益の弟子・紹叔。
◆梧庵 江戸時代後期-近代・梧庵(ごあん、1820-1897/1898)。鄧林紹材。勤皇志士を先導した。茶を好んだ。
◆建築 江戸時代、1604年に建てられた伽藍のうち、折玄関、庫裏のみが残る。
◆茶室 茶席は、近代、明治期(1867-1912)初期の梧庵好み、道安囲い(茶室客畳と点前畳の間の仕切り壁)とされる四畳半は、宗貞囲ともいう。東に床の間、西半間通りが落天井、北に付書院(一畳、丸窓)、中柱、向炉、中柱右に引違襖2枚、西に濡縁、南に縁側がある。
 一畳の点前畳、三畳半洞床の席(躙口、大和天井)、二畳の室がある。
◆文化財 室町時代、1511年の絹本著色「温仲宗純像 自賛」。室町時代、1435年の紙本著色「渡唐天神像 春夫宗宿 賛」。南北朝時代(14世紀)の「九条袈裟 春夫宗宿所用」。
 江戸時代、1608年の絹本著色「木下家定像 三江紹益 賛」。安土・桃山時代(16-17世紀)の紙本墨書「高台院消息」。
◆墓 木下家定の墓がある。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『建仁寺』『京都の禅寺散歩』『建仁寺 建仁寺と栄西禅師』『京都・山城寺院神社大事典』『旧版 古寺巡礼京都 6 建仁寺』『京の茶室 東山編』



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庫裡
常光院 〒605-0933 京都市東山区小松町588 ,大和大路通四条下る四丁目  075-561-8342
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