仙寿院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Senju-in Temple

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 妙心寺境内の北、衣笠山の南に境域外塔頭・仙寿院(せんじゅいん)はある。 
 臨済宗妙心寺派。
◆歴史年表 江戸時代、1652年、妙心寺196世・禿翁妙宏(とくおう みょうこう)により創建された。一絲文守(いっし ぶんしゅ)没後、第107代・後水尾天皇の帰依を受けた禿翁は、辞して洛北幡枝に菩提院(左京区)という庵を結び閑居した。この地を天皇に献上したため、代替地として現在地(右京区)を与えられた。この地は、永円寺旧地であり、菩授院を移し、院号も仙寿院に改めた。
◆禿翁妙宏 江戸時代の臨済宗の僧・禿翁妙宏(とくおう みょうこう、?-1681)。詳細不明。龍泉派、仁峰(にんぽう)下の泰叔玄昌(たいしゅく げんしょう)の法嗣。妙心寺196世。1652年、仙寿院を創建する。
◆後水尾天皇 江戸時代の第108代・後水尾天皇(1596--1680)。第107代・後陽成天皇の第3皇子。1611年後陽成天皇から譲位された。江戸幕府は朝廷に政治的な介入、統制を行い、1613年、「公家衆法度」「勅許紫 衣(しえ)法度」、1615年、「禁中並公家諸法度」を公布した。1627年、紫衣事件が起き、天皇が僧侶に与えていた紫衣着用の勅許を幕府が無効とした。天 皇は、7歳の興子内親王(後の第109代・明正天皇)に譲位し、以後、第112代・霊元天皇まで4代の天皇の院政を敷いた。山荘の造営を試み、幡枝離宮、その後、修学院離宮を造営した。泉涌寺内の月輪陵に葬られる。
 妙心寺との関わり深く、一絲文守、雲居希膺、愚堂東寔、禿翁妙宏に臨済録を講じられ、禿翁に帰依した。
◆妙泉寺・菩提院・円通寺・永円寺・仙寿院 禿翁妙宏は妙心寺を退隠し、洛北幡枝に菩提院に移り住んだ。後水尾天皇は、一絲文守に問答帰依しており、1652年の一絲没後は、禿翁が臨済録を講じ天皇の帰依を受けた。天皇は菩提院に行幸した際に、この地を気に入ったため、禿翁は境内地を献上した。この地にはかつて妙泉寺があり、後に現在の円通寺(左京区)が創建されている。
 禿翁は天皇より代替地を与えられる。禿翁は、小川坊城大納言、京兆言尹板倉防州守とともに洛外を見て回り、現在地(右京区)に新境内地を定めた。なお、この地には永円寺(えいえくんじ)があった。天皇は黄金500足を与え、現在地に菩提院が移され、院号も仙寿院に改めた。
◆建築 本堂、庫裏、山門がある。本堂は、桁行5間半、梁行2間。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『京都・山城寺院神社大事典』


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本堂

境内北に見えている衣笠山。
仙寿院 〒600-0000 京都市右京区竜安寺衣笠下町29  075-463-0446 
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