長興院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Choko-in Temple

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 妙心寺境内南東に塔頭・長興院(ちょうこういん)がある。 
 臨済宗妙心寺派。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1581年、武将・滝川一益(たきがわ かずます)が、妙心寺56世・九天宗瑞(くてん そうずい)を開祖に請じて創建した。当初は暘谷庵(ようこくあん)と称した。また、暘谷庵の旧跡だったともいう。
 1586年、一益が没する。
 江戸時代、1606年、檀越の武将・津田秀政が再興し、暘谷院と号した。以後、津田家の菩提塔頭になる。
 1635年、秀政没後、その法名「暘谷院殿清岳宗規居士」に因み院号を長興院と改めた。
 1686年、南の現在地へ移建された。
 1687年、境内跡地は本山が買い取り、宝蔵(現在の境内北、池中)を建立した。
 1692年、当院の隣接地に九天宗瑞が開創した大雲院(だいうんいん)を併合する。
 近代、1878年、後園院(こうえんいん)を合併した。
◆九天宗瑞 安土・桃山時代-江戸時代の僧・九天宗瑞(?-1612)。詳細不明。父は滝川一益。妙心寺56世、暘谷庵(後の長興院)開祖。大雲院住持。
◆滝川一益 室町時代の武将・滝川一益(たきがわ かずます、1525-1586)。近江の人。滝川一勝の子。織田信長に仕え、伊勢・伊賀攻め、織田信雄のもと伊勢国司・北畠氏との戦、1569年大河内城攻撃の功により北伊勢5郡を与えられる。1570年-1574年伊勢長島一向一揆を全滅させ、長島城主となった。伊勢水軍を配下に置く。1582年武田勝頼攻めの功により、佐久郡、小県郡を与えられ、厩橋城の城主、関東管領を命ぜられる。同年、本能寺の変後、北条氏政・氏直父子と戦い敗れた。信長後継者を決める清洲会議後、柴田勝家と与し、1583年勝家が賤ヶ岳の戦で敗れ、信孝の自刃後、伊勢5郡を秀吉に差し出して降伏した。 高野山に葬られる。
◆津田秀政 室町時代-江戸時代の武将・津田秀政(1546-1635)。津田秀重の子。号は興庵。妻は滝川一益の娘(養女とも)。父と共に織田信長に仕え、一益の与力として旗下に加わる。1574年信長の嫡男・信忠より、祖父秀敏の遺跡を継いだ。1582年一益の上野国拝領に伴い松井田城を任される。1583年一益が賤ヶ岳の戦いにより没落、浪人を経て信長の次男・信雄に仕える。豊臣秀吉に馬廻として仕え、1592年肥前名護屋城の本丸番衆、1598年秀吉死後は徳川家康に仕え、1600年家康に従い会津征伐、関ヶ原の戦、1614年大坂の陣にも加わる。江戸幕府旗本寄合。
◆津田正重 江戸時代の武将・津田正重(?-1661)。詳細不明。豊臣秀頼の臣・河北正勝の子。津田秀政の養子。
◆南渓素信 江戸時代の僧・南渓素信(生没年不詳)。詳細不明。津田秀政の養子、津田正重の弟。長興院4世。
◆大雲院 大雲院(だいうんいん)は、織田信長の嫡男・信忠(1557-1582)の菩提所であり、その乳母は九天宗瑞の妹という。九天が開祖になり、長興院の隣地に建てられた。
 1612年、九天没後、長興院、春光院、玉龍院の三院が輪番で管理した。長興院4世・南渓素信以来、長興院が管理した。1562年、長興院に合併になる。
◆後園院 後園院(こうえんいん)は、江戸時代、1610年に千英(せんえい)により創建された。近代、1878年、長興院に合併される。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』


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【参照】門前の妙心寺参道
長興院 〒616-8035 京都市右京区花園妙心寺町63  075-465-0802
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