清住院 〔建仁寺〕 (京都市東山区)
Joju-in Temple

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 建仁寺境内の北西に境外塔頭・清住院(じょうじゅういん)がある。
 臨済宗建仁寺派。本尊は観音菩薩。
◆歴史年表 南北朝時代?、蘭州良芳(らんしゅう りょうほう、1305-1385)により創建された。
 室町時代、古桂弘稽(こけい こうけい、生没年不詳)が住持となる。
 1488年、夜盗により炎上する。
 江戸時代、1653年、当院10世・茂源紹柏(もげん しょうはく)の時、再興された。
 近代、1872年、窮民産業所の開設に伴い、旧境内(花見小路、塔頭・常光院東南)を収公される。
 1873年、花見小路より替地の現在地(塔頭・祥雲院の跡地)に移る。
◆蘭州良芳 鎌倉時代-南北朝時代の臨済宗の僧・蘭州良芳(らんしゅう りょうほう、1305-1385) 。若狭の生まれ。一山一寧に学ぶ。雪村友梅の法嗣。1361年、楠木正儀の京都攻めの際に、4歳の足利義満を助け、父・義詮により、万寿寺、建仁寺54世、南禅寺の住持。諡号は弘宗定智(こうしゅう じょうち)禅師。三江派。
◆古桂弘稽 室町時代の臨済宗の僧・古桂弘稽(こけい こうけい、生没年不詳)。元華良曇の法嗣、1501年、建仁寺243世。五山文学者としても知られた。語録に「古桂録」、詩文集に「けい肋集」。
◆茂源紹柏 安土・桃山時代-江戸時代の臨済宗の僧・茂源紹柏(もげん しょうはく、1599-1667)。詳細不明。建仁寺303世。1653年、建仁寺・清住院を再興した。
◆建築 蔵春軒は、建仁寺232世・乾仲宗亨の寮舎になる。
◆茶室
 「如庵」写しの茶室がある。三畳半下座床台目。明治期(1867-1912)初期の勤皇僧・梧庵(鄧林紹材、1820-1897)の好みの席になる。床脇の三角板、中柱に続く板壁の火灯形の刳り貫きには如庵とは異なり釣棚がある。半畳の突き当たりは引戸で三畳へ通じている。掛込天井。
◆文化財 室町時代(15世紀)、絹本著色「蘭州良芳 大愚性智賛」。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『建仁寺』『京都の禅寺散歩』『建仁寺 建仁寺と栄西禅師』『京都・山城寺院神社大事典』『旧版 古寺巡礼京都 6 建仁寺』『京の茶室 東山編』


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清住院 〒605-0811 京都市東山区小松町587,大和大路通四条下る四丁目  075-551-0754 
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