西林寺 (京都市左京区八瀬)
Sairin-ji Temple
西林寺 西林寺
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境内は石垣の上に開かれている。




本堂


 京都市内から大原に向かう367号線より急坂を登ると、山の中腹に西林寺(さいりんじ)がある。山号は江湖山という。 
 浄土宗西山禅林寺派。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 かつて、中京区裏寺町通蛸薬師上ル西側にあったという。楢崎家、井口家の菩提寺だった。
 戦後、現在地の八瀬に移転したという。
◆楢崎将作 江戸時代後期の医師・楢崎将作(ならざき しょうさく、1813-1862)。奈良崎大造豊明の子。妻は重野貞。長女は坂本龍馬の妻・龍。父を継ぎ京都柳馬場三条南で内科・外科医を営む。青蓮院宮尊融法親王の侍医。梅田雲浜、頼三樹三郎ら尊王派と交流した。1858年、安政の大獄に連座して捕えられた。翌1589年、釈放される。京都の自宅で没した、六角獄舎で獄死したともいう。西林寺に葬られたという。
井口新助 江戸時代後期-近代の商人・井口新助(いぐち しんすけ、1837-1910)。京都河原町の高知藩御用達醤油商「近江屋」の主人。1859年、家業を継ぎ2代目・近江屋新助を名乗る。土佐藩の御用達となり、勤皇志士を資金援助した。1867年、材木商「酢屋」より移った坂本龍馬を匿うため、土蔵を改装した。龍馬、中岡慎太郎が見廻組に暗殺された際には、土佐藩邸に報せに走った。1868年、鳥羽・伏見の戦いで、官軍に軍資金、食糧を提供し傷病兵の看護、武器弾薬の移送にも関わる。
◆田坂具隆 日本の映画監督・田坂具隆(たさか ともたか、1902-1974)。広島県生まれ。幼くして母に死別、京都に移り、第三高等学校中退、新聞記者を経て、病弱により兵役免除となる。1924年、日活大将軍撮影所入社。1926年、初監督『かぼちゃ騒動記』、入江たか子主演『心の日月』がヒットした。1931年女優・瀧花久子と結婚。1932年、日活太秦撮影所の争議で内田吐夢、伊藤大輔らと「七人組」を結成し日活から独立、新映画社を興すが後に解散。新興キネマ、日活多摩川撮影所に移る。1937年、『真実一路』、1938年『路傍の石』、反戦とも見える『五人の斥候兵』(第6回ヴェネツィア国際映画祭イタリア民衆文化大臣賞受賞)、1939年、『土と兵隊』(第7回ヴェネツィア国際映画祭日本映画総合賞受賞)。1943年、松竹下加茂撮影所より、内田吐夢と東京大船撮影所へ移る。1943年『海軍』などの国策映画も撮る。1945年、召集により広島で被爆した。戦後、1952年、大映東京撮影所で原爆を扱った『長崎の歌は忘れじ』、1955年、日活に復帰し、子供を撮った『女中ッ子』、1958年、石原裕次郎の『陽のあたる坂道』、1962年、東映に移籍、1963年、佐久間良子で『五番町夕霧楼』、1966年、『湖の琴』などを撮った。墓は西林寺にある。
◆墓 映画監督・田坂具隆の墓がある。
 無縁墓地として墓地の北側に墓碑が寄せられている。その一角に「楢崎大造・楢崎将作の楢崎家の墓」と刻まれた墓石が残る。ただ、実際には「楢」の一字だけが確認できる。
 龍馬没後、その妻・お龍は西村松兵衛と再婚し、ツルと改名した。お龍没後、その遺言により遺骨は、龍馬の墓(霊山墓地)、楢崎家菩提寺の西林寺に分骨された。その後、子孫により西林寺の無縁墓地より天龍寺塔頭・寿寧院に移された。寿寧院には2005年に建てられた楢崎将作、お龍(坂本龍子、西村ツル)の顕彰碑が立つ。
 なお、西林寺は、高知藩御用達、河原町の醤油商「近江屋」主人・井口新助、井口家の菩提寺でもあったという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都シネマップ 映画ロマン紀行』、サイト「写真が紐とく幕末・明治


  関連・周辺      周辺     関連寿寧院〔天龍寺〕        

延命地蔵大菩薩

歯の地蔵尊

北向地蔵尊

「楢崎大造・楢崎将作 の楢崎家の墓」、無縁仏の中にあり「楢」の一字だけがかろうじて見えている。

境内からの眺望

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西林寺  〒601-1252 京都市左京区八瀬秋元町3-2  075-711-5353 
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