南芳院 〔天龍寺〕 (京都市右京区)
Nanho-in Temple
南芳院 南芳院 
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 天龍寺境内、総門の北脇に塔頭・南芳院(なんほういん)がある。日系人僧・ヘンリー・ミトワが住していた。
 臨済宗天龍寺派。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 室町時代、1491年、「蔭涼軒日録 四」に南芳院の名がある。
 1499年、「鹿苑日録 五」に南芳院が記されている。 
 江戸時代、1682年、「雍州府志」に檀越の駿河守・二階堂満春、一族の塔所があると記されている。また、妙沢竜湫(竜湫周沢)の塔所ともある。
 1864年、松巌寺と真乗院は戦災で焼失している。
 近代まで、現在地の西、塔頭・松巌寺の地にあった。
 近代、1870年、南芳院は廃寺になる。
 1877年、松巌寺と南芳院が合併した。建物はなく、南芳院境内に移転し寺号は松巌寺と改めた。
 現代、1973年頃、南芳院は現在地に再興された。ヘンリー・ミトワが入寺する。
◆龍湫周沢 鎌倉時代-南北朝時代の臨済宗の僧・龍湫周沢(りゅうしゅう  しゅうたく、1308-1388)。甲斐国の生まれ。夢窓疎石の法嗣。1356年甲斐国・恵林寺10世。1351年夢窓の没後、春屋妙葩とともに夢窓派の中心になる。建仁寺、南禅寺、天竜寺、臨川寺の住持歴任。一時、春寧院に隠棲、その後、南禅寺の住持として復した。
 詩文・絵画に優れ詩文集『随得集』、甲府・一蓮寺の不動明王像などを描く。
◆ヘンリー・ミトワ 近現代の臨済宗の僧・ヘンリー・ミトワ(1918-2012)。横浜の生まれ。父はチャールズ・ミトワ。米映画会社ユナイテッドアーティストの極東支部長で、日本にチャールズ・チャップリンを紹介した。母は日本人。長女はミトワ・グレッチェン・京子。1940年米国に渡った父を探し渡米する。だが、翌1941年太平洋戦争勃発により、1942年-1946年米国内の日系人収容所に収監された。収容所内で日系人の女性と結婚し、長男と長女が生まれる。戦後、1961年日本に戻り、妙心寺で出家、1973年天龍寺に移った。天龍寺・南芳院に住した。茶人でもあった。いけばなインターナショナル京都支部会長職も務めた。
 その生涯を追った中村高寛監督のドキュメンタリー「ヘンリの赤い靴」がある。
◆洗脚石 妙心寺塔頭・大龍院に「関山国師(関山慧玄)洗脚石」と呼ばれる石がある。
 妙心寺開山・関山慧玄(1277-1361、無相大師)が、天龍寺の夢窓疎石(1275-1351)を訪問する際に、必ず油掛地藏尊の処まで来て、前に流れる川で足を洗っていた。後に、天龍寺の僧侶がそのことに気づき、洗いやすいようにと川の畔に石を移した。
 その後、天龍寺塔頭・南芳院に移され保存されていた。(「正法山誌」)。近代、今川貞山(1826-1905)により、石は天龍寺より妙心寺塔頭・大龍院に移された。石は、庭園の高台にいまも残されている。今川貞山は、妙心寺派管長を務め、妙心寺に大龍院を再興している。
◆南芳院文書 近年の研究によれば、米国イェール大学バイネッケ図書館蔵の「南芳院文書」には、影写本「森田博三氏所蔵文書」が存在する。これらによると中世の南芳院は、通常の塔頭とは異なり、足利将軍家と関わる「公方御寺」であったという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『天龍寺』『京都の禅寺散歩』「山城国葛野郡天龍寺の境内地処 と関係資料」


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南芳院 〒616-8385 京都市京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町68 
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