無学寺 (京都市上京区)
Mugaku-ji Temple

50音索引  Home 50音索引  Home






 無学寺(むがくじ)の山号は、弘安山、仏光林と号する。この地は、尼寺・景愛寺(けいあいじ、宝慈院)の旧地という。古く「無学の辻子」と呼ばれた。
 曹洞宗、本尊は地蔵菩薩を安置する。
◆歴史年表 鎌倉時代、1279年、宋の無学祖元の創建による。当初は弘安山無学寺と称し、臨済宗だった。
 その後、戦乱により荒廃する。
 江戸時代、17世紀(1601-1700)後半、浄土宗に改める。この地は景愛寺の旧地という。(「雍州府志」)
 享保年間(1716-1763)、曹洞宗の古巌により復興される。天寧寺8世・心海を中興祖として、曹洞宗に改めた。
 1788年、天明の大火により類焼した。
 1811年、再建された。
◆無学祖元 鎌倉時代の臨済宗の渡来僧・無学祖元(むがく そげん、1226-1286)。無覚。南宋明州の許家に生まれた。1237年、兄・仲挙懐徳の命で杭州・浄慈寺の北礀居簡により出家。1240年代、径山・無準師範に参じ、法嗣。1262年、東湖・白雲庵に移る。1275年、元軍が南宋に侵入し、温州・能仁寺に避難、軍に包囲されるが、臨刃偈を詠むと軍は去ったという。1279年、幕府執権・北条時宗の招きにより来日、鎌倉・建長寺の住持。1282年、帰依した時宗はモンゴルの来襲(元寇)戦没者追悼のために鎌倉・円覚寺を創建、その開山となる。1284年、時宗没後、建長寺に移り、同寺で没した。
 老婆禅と呼ばれ、時宗、鎌倉武士らの参禅を得た。日本に帰化し、臨済宗発展の基礎をつくり無学派(仏光派)の祖となる。諡号は仏光国師・円満常照国師。墓所は建長寺にある。
◆景愛寺・無学の辻 「雍州府志」に次のように記されている。無学の辻(辻子)に夢覚寺(むがくじ)という天台宗の寺があり、本尊は地蔵という。夢中に霊験あり、そのため夢覚寺と号した。ただ夢覚とは、無学を誤記したものという。現在は浄土宗に改めた。
 古くこの地は、尼寺五山随一と謳われた景愛寺(けいあいじ)の旧地という。景愛寺は無学祖元を開山とし、このため、この地もまた無学(の)辻子と称した。(「雍州府志」)
 なお、現在、周辺に無学辻子の地名は見当たらない。景愛寺(宝慈院)は境内の南西に隣接している。 


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『雍州府志』『京都大事典』


   関連・周辺宝慈院      周辺     関連        
無学寺 〒602-0015 京都市上京区下柳原南半町249,室町通寺之内上る西側  075-431-4545
  Home     Home  
  © 2006- Kyotofukoh,京都風光 http://www.kyotofukoh.jp