天真院 〔萬福寺〕 (宇治市)
Tenshin-in Temple
天真院 天真院 
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キョウチクトウ
 萬福寺の境内、総門の南に塔頭・天真院(てんしんいん)がある。 
 黄檗宗。
◆歴史年表 江戸時代、1679年、了翁道覚(りょうおう どうかく)により建立される。
 1695年、経蔵が建てられた。
 1696年、天真院文庫が建てられた。
 1715年、客殿が建立される。塔頭・宝蔵院より移される。
 1886年、土蔵、表門以外を焼失する。
 近代、1906年、再建された。
◆了翁道覚 江戸時代前期の黄檗宗の僧・了翁道覚(りょうおう どうかく、1630-1707)。出羽国の生まれ。1641年、曹洞宗長渓山龍泉寺の寺僕、後に剃髪した。1648年、仙台・瑞巌寺の雲居希膺より五戒を授戒、1654年、興福寺の隠元に入門。療養のため一時退き、摂津・普門寺の隠元に再び私淑、1656年、隠元の萬福寺開山に尽力した。1662年、男根を断つ。1663年、清水寺に参籠し「指灯」の難行を行う。1665年以降、萬福寺寺塔の建立、蔵経の奉納のため各地で喜捨を受ける。1670年、大蔵経を不忍池の経堂島に納めた。1671年、伊勢・安養寺門前に施薬館、泉涌寺門前に施薬所を設ける。1672年、棄児養育に関わる。上野・寛永寺に勧学寮を建立、和漢の書籍3万巻を収蔵し日本初の公開図書館になる。講座を開き学寮も併設した。貧者、遠来の客には飯粥や宿を与えた。1674年、江戸・瑞聖寺に経蔵を建てる。1682年、江戸・天和の大火被災民救済を行う。1683年、関西での飢饉被災者を救済した。1685年、輪王寺の守全法親王より勧学寮権大僧都法印に任じられた。高野山・金剛峯寺塔頭光台院に経蔵を設立し、鉄眼一切経を納めた。以後、1694年まで、天台・真言・禅の3宗21か寺に経蔵を寄進した。1692年、萬福寺に巨額の浄財を寄進。1694年、萬福寺・天真院を創建。1695年、高泉の嗣法。1696年、天真院に天真院文庫を建てる。1697年、萬福寺・自得院を創建、宇治の五ヶ庄40町歩の灌漑開田工事を行う。1701年、伏見仏国寺4世。1702年、自得院に退隠した。
 宇治大火での救済活動、鉄牛の干拓事業援助、全国に約30の図書館を建立した。1653年、興福寺の開山・如定禅師は夢告により薬の処方を授かり、錦の袋に入れ「錦袋圓(きんたいえん)」と名付けた。ハッカなどが含まれる一種の興奮薬だった。1665年了翁は江戸・寛永寺麓、不忍池の畔に薬屋「勧学屋」を開き、妙薬としてこれを売り出した。その巨額の収益により勤学寮を創設、没後は、寛政期の萬福寺修造費用にも充てられた。資金は「錦袋圓上納金」「天真院納金」といわれ、天真院が取り扱い、その額は毎年3700両にも及んだ。
◆建築 表門は江戸時代、1694年建立、経蔵は1695年建立された。客殿は1715年建立であり塔頭・宝蔵院より移している。
 1886年、土蔵、表門以外は焼失している。1906年に再建された。いずれも京都府文化財指定。
◆普茶料理 境内で普茶料理「銀杏庵」を経営している。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都の禅寺散歩』


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天真院 〒611-0011 宇治市五ケ庄三番割22  0774-31-8945
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