薪神社 (天神社) (京都府京田辺市) 
Takigi-jinja Shrine
薪神社 (天神社) 薪神社 (天神社) 
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拝殿




神牛




本殿



本殿
 一休寺(酬恩庵)の西に薪神社(たきぎ じんじゃ)がある。天神社(てんじんしゃ)とも呼ばれている。古くは「あまつかみ の やしろ」と呼ばれた。 
 祭神は本殿に山代直(やましろ の あたい)の先祖である天津彦根命(あまつひこねのみこと)、第15代・応神天皇(おうじんてんのう)を祀る。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 現在地には、かつて、天神社(てんじんしゃ/あまつかみのやしろ)が祀られていた。「奥の宮さん」とも呼ばれた。甘南備山に祀られている神南備神社の遥拝所として建立されたという。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、星野天神社、住吉社、武内社(武氏社)の三社は再興される。(棟札) 
 江戸時代、1629年、薪村と大住村の山論についての板文が奉納される。
 1655年、薪村八幡宮、天満宮の縁起、宮座の定めを改める。
 1765年、徳米の釈迦講田を吟味した。(棟札)
 1794年、社殿を造営する。(棟札) 
 近代、1868年、神仏分離令により、境内の真言宗の光通寺(こうつうじ)は廃寺になる。
 1869年、一休寺の宗珪により武氏大明神が再勧請となる。
 1873年、村社格となる。
 1897年、天神社、八幡社の屋根が葺替えられる。小社が修繕された。(板書)
 1907年、天神社と八幡社・金比羅神社(現在地の南東150m、現在の一休寺所有地)を合祀し、薪神社に改めた。
 現代、1953年、本殿、住吉社の屋根が葺替えられる。
 1972年、武内神社の屋根が葺替えられた。(棟札)
 1975年、昭和50年代(1975-1984)とも、「クサ神(がみ)さん」が薪神社に遷された。
 1983年、金刀比羅(ことひら)神社が社殿修復され、正遷宮となる。
 1985年、本殿、住吉神社、武氏大明神の屋根が葺替えられた。(棟札)
◆境内社・末社 境内社・武氏大明神社(武内神社)は、祭神に武内宿禰(たけのうちのすくね)を祀る。本殿右に祀られている。創建、変遷の詳細は不明。1873年に村社格となる。1907年、八幡宮より遷された。梁行1.04m、桁行0.73m。
 旧天神社の境内社・住吉神社は、本殿左に祀られている。祭神は底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、上筒男命(うわ つつのおのみこと)の三神になる。社殿内に素木の神像(25cm)が祀られている。梁行1.05m、桁行0.72m。
 金刀比羅(ことひら)神社の祭神は大物主命(おおものぬしのみこ)であり、1907年、八幡社とともに遷された。1983年に正遷宮される。梁行0.71m、桁行0.65m。
 「クサ神(がみ)さん」は、石神を祀る。かつて天神社(現在の薪神社)と八幡社の間、現在地の南東100m付近に祠として祀られていた。「瘡神(くさがみ)さん」と呼ばれ、古くは瘡神社(かさ じんじゃ、京田辺市高船里)より遷されたという。乳児の瘡(くさ)、吹出物治癒の信仰を集めた。1975年、昭和50年代(1975-1984)とも、薪神社に遷される。
 猿田彦神社の祭神は、猿田彦神を祀る。
◆八幡社 八幡社(はちまんしゃ)は、現在地の南東150m、現在の一休寺の所有地内に創建された。詳細は不明。祭神は応神天皇という。1873年に村社格に列せられた。
 本殿、拝殿、御供社が建てられていた。境内社としては武内社、金比羅(ことひら)神社があった。1907年、天神社と八幡社・金比羅神社を合祀し、薪神社に改められる。
 旧社地には基壇跡がいまも残る。かつての参道は一休寺の山垣外(さんがいち、住宅地)より、三本杉の南を経て、鐘楼の南付近に通じていたという。
◆磐座 境内には、かつて甘南備山頂に祀られていたという磐座(いわくら)も遷されている。月読神が仮の姿をして現れた岩という
 月読神社(京田辺市大住)には、祭神・月読神が、甘南備山に降臨し、その時、依代になった磐座が、後に薪神社に遷されたと伝えられている。
◆建築 「本殿」は一間社流造、こけら葺、東面している。正面2.2m、奥行2.2m。
 「拝殿」は割拝殿になっている。切妻形、瓦葺、正面10m、奥行4m、参道の幅は2m。
 拝殿と本殿の間に「渡廊下」がある。長さ5m、幅2m。
◆遥拝所 拝殿の南東に神南備神社遥拝所、拝殿の北に明治神宮遥拝所がある。 
◆文化財 本殿内に江戸時代、1629年の薪村と大住村野山論について、氏神社へ奉納した板文がある。
◆薪猿楽 境内に、1985年に「能楽発祥の碑」が立てられた。文学博士・志賀剛の名も刻まれている。輝翠凝灰岩製。 
 当社では、祭日の前に、神主は背後の甘南備山を拝伏し、かつて甘南備山にあった甘南備寺の薬師谷で神楽を奏した。さらに、麓の古宮に榊を納めて神楽を奉納した。この神楽は猿楽であり、後に能楽に発展する。
 甘南備寺の伽藍が建つ平坦面三段は「竹の段」と呼んだ。能楽の金春座(こんぱるざ)の前身は「竹田座」であり、この竹の段に由来するという。
 奈良時代、俳優(わざおぎ)の子孫・薩摩の阿多隼人(あたのはやと)は、薪村に移り住む。作曲は「竹の段」と称された。隼人は、この曲舞(くせまい)により、山の月読神を招き猿楽を奉納した。金春能とは、曲舞と猿楽の合したものであり、薪猿楽に発展する。
 室町時代、能楽の名手・金春禅竹(1405-1468)は、一休を慕い一休寺門前に屋敷を構え、晩年を過ごしたという。当寺門前に「薪能金春芝跡」の碑が立つ。
◆地名・争論 平安時代、薪には山林があることから薪、柴を産していた。石清水八幡社の荘園地になっており、「薪荘」「薪御園(たきぎしょう)」とも呼ばれた。二十四節供、二重の神楽には奉仕した。このため、地名の薪の由来になったとされる。
 鎌倉時代、1235年より、薪庄(石清水八幡領)と大住庄(奈良・興福寺領)の間で、薪と水をめぐる争論があり、松井庄の住人も関わったという。
 江戸時代、1629年、薪村と大住村の山論についての板文が当社に奉納されている。
◆年間行事 例祭(10月10日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
 
*参考文献 京田辺市教育委員会・京田辺市文化財保護委員会の説明板、『薪誌』『京都の地名検証』『神南備山マップ』


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「能楽発祥の碑」
 薪神社 〒610-0341 京都府京田辺市薪里ノ内町1番地 
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