養源院 (京都市東山区) 
Yogen-in Temple
養源院 養源院
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山門(南門)


山門


勅使門(北門)




「大聖天歓喜天」の石柱





玄関


本堂、江戸時代、1621年、2代将軍・徳川秀忠(1579-1632)が、伏見城の遺構を移築したものという。




大般若経転読会の行われる御宝前。
 三十三間堂の東に道を隔てて養源院(ようげんいん)がある。桃山御殿、宗達寺(そうたつでら)、血天井の寺ともいわれる。山号は南叡山という。
 浄土真宗遣迎院(げんごういんは)派、本尊は阿弥陀如来像。 
 京の通称寺霊場29番、宗達寺。
 商売繁盛、所願成就の信仰がある。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1594年、淀殿が、父・浅井長政、兄・万福丸、祖父・久政の追善のために、小谷城で自刃した父の二十一回忌に建立した。開山は比叡山僧侶・成伯法印による。寺号は長政の院号「養源院天英宗清」による。当初は天台宗だった。豊臣秀吉は300石を寄進した。毘沙門堂脇門跡となる。
 江戸時代、1619年、焼失した。
 1621年、2代将軍・徳川秀忠の継室・崇源院(すうげんいん)が、秀忠に頼み伏見城の遺構を移し本堂を再建したという。鳥居元忠の追善という形で血天井を張り、豊臣ゆかりの寺を再興したものという。以来、徳川家の菩提寺、位牌所、皇室の祈願所になる。
 後に、方広寺に属した。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、本堂以外の伽藍、庭も破却される。
 現代、1945年、戦後、浄土真宗遣迎院派に改宗した。
◆成伯 江戸時代初期の天台僧・成伯法印(じょうはく ほういん、生没年不詳)。清伯。詳細不明。父は織田信長に処刑された浅井亮親(親政)。兄は賤ヶ岳の戦いで羽柴方に討たれた浅井吉政。1594年、養源院の開基。
◆淀殿 安土・桃山時代-江戸時代の女性・淀殿(よどどの、1569?-1615)。ちゃちゃ(茶々)。近江国に生まれる。父は浅井長政、母はお市の方の長女。1573年、織田信長に攻められ浅井氏は滅亡し、ちゃちゃら母娘は清洲の城に引き取られる。1582年、信長の死後、母は柴田勝家に再嫁し、ちゃちゃも越前北ノ庄城に移る。翌1583年、賤ヶ岳の戦いで秀吉に攻められ勝家、母は自害する。ちゃちゃら3人の娘は秀吉に保護される。1588年頃、秀吉の側室になる。1589年、淀城に入り、淀の方と呼ばれた。同年鶴松を産むが夭折。1590年、秀吉の小田原攻めに同行、1592年、文禄の役に肥前名護屋に赴く。1593年、大坂城で次男・秀頼を産む。1594年、菩提寺養源院を建立した。1598年、秀吉死後、秀頼と共に大坂城に入り、正室・北政所をしのぐ。1615年、大坂の陣で豊臣方が敗れ、秀頼と共に自害する。
◆崇源院 江戸幕府2代将軍徳川秀忠の御台所・崇源院(1573-1626)。淀君の妹。従兄妹・尾張大野城主佐治一成と結婚する。だが、秀吉により離別させられたという。秀吉の養子・羽柴秀勝に嫁ぐ。夫没後、養女格として秀忠の継室になり、千姫、家光、忠長らを産む。
◆俵屋宗達 安土・桃山時代-江戸時代前期の画家・俵屋宗達(たわらや そうたつ、?-1637?)。詳細不明。京都西陣唐織屋の蓮池家分家、また、別家喜多川家の一族の生まれともいう。屋号「俵屋」として絵屋、扇屋を興す。琳派の創始者。烏丸光広、本阿弥光悦 らと親交があった。下絵や扇面画の作画工房「俵屋」を営み、自らも制作した。1602年、『平家納経』の一部の表紙と見返し絵の制作、1621年、養源院襖絵、杉戸絵制作、1630年、法橋の位を得る。金銀泥絵から考案した「たらし込み」、輪郭線を墨の濃淡で表現する「没骨法」などを駆使した。作品に「風神雷神屏風」「蓮池水禽図」「関屋澪標図屏風」など。
◆狩野山楽 安土・桃山時代-江戸時代初期の画家・狩野山楽(かのう さんらく、1559-1635)。近江に生まれた。父・木村永光は浅井長政の家臣。当初は長政に仕え、後に豊臣秀吉の近侍となる。秀吉の推挙で狩野永徳の門人となり、養子となり狩野氏を許された。1590年、秀吉の命により、病に倒れた師・永徳を継ぎ、東福寺法堂「蟠竜図天井画」(1881年焼失)の修復を数日で完成させる。1594年、伏見城、1597年、再建の伏見城、1604年、大坂城の千畳敷大広間の障壁画にも参加した。1615年、豊臣家滅亡で大坂城を脱出し、男山八幡宮の社僧で山楽の弟子・松花堂昭乗のもとに身を隠した。於江与(崇徳院)らの取成しにより京都に帰る。2代将軍徳川秀忠、3代将軍家光に重用され、再建された四天王寺、大坂城本丸障壁画、妙心寺・天球院障壁画などにも加わる。代表作に正伝寺方丈、養源院の障壁画がある。
 泉涌寺に葬られた。山楽、山雪の子孫は京都に住み京狩野と呼ばれた。
◆本尊 藤原時代(894-1285)作という「阿弥陀如来像」がある。木造、一木造。
 徳川家菩提寺として歴代将軍の位牌が祀られている。長政、祖父・久政、淀殿、その子・秀頼、お市の方の位牌もある。
◆建築 「本堂(客殿)」(重文、2015年)は、江戸時代、1619年に破却された伏見城より移築されたという。本堂正面、左右の廊下(88m)の天井は伏見城の「血天井」といわれている。豊臣ゆかりの寺を再興するに際して、伏見城を死守した鳥居元忠の痕跡を残す床を血天井として張り、追善という形をとった。
 安土・桃山時代、1600年、関ヶ原本戦の前哨戦だった伏見城の戦いで、攻城軍の西軍総大将・宇喜多秀家、副将・小早川秀秋による4万の大軍に対し、城を守った総大将・鳥居元忠らはわずか1800人の兵だったという。鳥居ら380人は自刃して果てた。その際の血の海となった床板が、供養のために天井板として用いられたという。崇源院の憎しみを表したものともいう。
 「庫裏」、「護摩堂」(重文、2015年)も伏見城遺構ともいう。
 「鶯張廊下」は、江戸時代初期の大工・彫刻職人・左甚五郎の作という。
 「鐘楼堂」(重文)、「中門」(重文、2015年)。
◆天王像 大聖歓喜天王像は、かつて伏見城内に豊臣秀吉が祀っていたものが遷された。
◆文化財 浅井長政、夫人画像、徳川秀忠夫人画像、豊臣秀頼画像。伝淀殿肖像画。豊臣秀頼豊国大明神名号など。
 江戸時代、1650年の梵鐘に縁起がある。
◆障壁画 本堂に江戸時代初期の絵師で琳派(りんぱ)の俵屋宗達(生没年不詳)による襖12面、杉戸8面がある。宗達は、浅井家家来筋の縁戚という。
 板地着色「杉戸絵」8面(重文)は、江戸時代、1621年頃に描かれたとみられている。伏見城で自刃した鳥居元忠らの霊を慰めるために描いたものともいう。表の「波」と裏の「麒麟図(きりんず)」(2枚4面)、表の「唐獅子図」(重文) (全体で4面)は、東大寺八角燈籠の唐獅子より着想を得たともいわれている。裏の「白象図(はくぞうず)」(重文)は2枚4面ある。宗達は、1597年に南蛮船により渡来した本物の象を見た可能性があるという。
 本堂中央「松の間」の宗達筆、襖絵、紙本金地着色「松図」12面(襖8面、戸襖4面)(重文)は、江戸時代、1621年頃に描かれた。かつて20面あった。金地に松の大木の太い枝とそれを支える岩が襖全体に描かれる。燈明の光により金箔が赤みを帯びて見えるという。松の間は、秀吉謁見の間を移したものという。
 豊臣秀吉の学問所「牡丹の間」には、狩野山楽(1559-1635)の牡丹の襖絵がある。山楽は浅井長政の家来筋に当たる。
◆庭園 徳川時代の池泉庭園は、小堀遠州(1579-1647)の作庭とみられている。遠州は、浅井長政の縁戚に当たる。豊臣秀吉を祀る豊国廟のある阿弥陀ヶ峯を遠景としたともいう。池の周りに石組がある。奇岩が多い。立石があり、その脇の滝組は平天石を段状に並べて枯れ滝とし、流れは池泉に落ちている。
 庭は近代以降に破壊、改修されている。水辺に楓が植えられている。
鎮守社 境内のヤマモモの巨木に、白鷹龍神、赤桃明神、白玉明神の三稲荷神が祀られている。木の根元に洞の部分がある。古く、女性の間に縁結びの信仰があったという。
 白衣弁財天は、池の畔に祀られている。福を授かる稲荷神として、水商売関係の信仰篤かった。願掛けのために水桶を奉納する。
◆ヤマモモ 境内には、ヤマモモ(京都市指定保存樹)の大木がある。伏見桃山城より移植されたともいう。豊臣秀吉手植えともいう。樹齢は400年になる。
 
◆桜楓 春の桜、秋の楓の紅葉。
◆墓 宝篋印塔の祟源院石塔墓(6m)がある。お江(祟源院)の7回忌に、娘の東福門院が建立した。本来は正面のみの梵字が四方に刻まれている。これは、浅井家、豊臣家、徳川家、皇室の調和を意味したものという。
◆年間行事 1月、5月、9月のそれぞれ21日に大般若経転読会が行われる。商売繁盛などの御利益があるとされる大聖歓喜天の行事で、大般若経全を御宝前で導師と出仕の僧4人で転読する。
 4人の僧は全600巻の大般若経が綴られた経典を、高く掲げ上から次々に開いていく。豊臣秀吉も大聖歓喜天を信仰していたという。


*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『京都の寺社505を歩く 上』『京都府の歴史散歩 中』『京都・美のこころ』『京都大事典』『京都秘蔵の庭』『京都隠れた史跡100選』『おんなの史跡を歩く』『稲荷信仰と宗教民俗』『週刊 京都を歩く 25 東山』『週刊 日本の美をめぐる 平安2 2 奇蹟の出合い 宗達と光悦』


        三十三間堂     豊国神社・方広寺       伏見城・伏見桃山城            


勅使門

手水舎

鐘楼

延命地蔵尊

大日如来


白衣弁財天


白衣弁財天

毘沙門天


白鷹龍神、赤桃明神、白玉明神を祀る。

ヤマモモの巨木(京都市指定保存樹)
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map 養源院 〒605-0941 京都市東山区三十三間堂廻町656  075-561-3887  9:00-16:00

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