大原念佛寺 (京都市左京区大原)
Ohara-nembutsu-ji Temple

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 大原念佛寺(おおはら ねんぶつじ)は、古くから地元の回向寺として信仰された。 
 天台宗、本尊は阿弥陀如来。
 京都洛北・森と水の会に加わる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 鎌倉時代-南北朝時代、尊雲法親王(1308-1335)の創建とされる。
 江戸時代、1814年、火災により焼失した。由緒なども失われる。その後、再建された。
 近代、1934-1935年、台風被災により倒壊し、流失した。三千院門跡第56世・堀恵慶大僧正は、復興を発願する。上野・浄名寺の地蔵比丘妙運大和尚誓願による8万4000体の地蔵尊のうち、第5万4942番を念佛寺に勧請した。高橋三広は等身大石仏を造仏し、念佛寺境内地に建立し、開眼供養を修した。
 1938年、現在地に移転し再建される。
◆護良親王 鎌倉時代-南北朝時代の皇族・護良親王(もりよし/もりなが しんのう、1308-1335)。大塔宮(おおとうのみや)。父は第96代・後醍醐天皇の皇子。母は源師親の娘・親子。1318年、三千院(梶井門跡)に入室したという。1326年、落飾し尊雲法親王と号した。1327年、天台座主。1329年、延暦寺大講堂を修理した。1331年、後醍醐天皇の第2次討幕運動(元弘の変)に際し、弟・尊澄法親王と八王子に布陣した。六波羅軍に敗れ,楠木正成の籠もる赤坂城へと逃れた。赤坂城も落ち、十津川,熊野へと逃れる。1332年、還俗し護良と改名、吉野で挙兵した。親王の令旨に応じ、楠木正成、赤松則村が挙兵した。親王は河内信貴山に兵を進め、赤松則村による京都侵入、六波羅攻撃を援助した。1333年、後醍醐天皇の建武新政では、征夷大将軍の任官をめぐり足利尊氏と対立した。1334年、尊氏らの讒言により謀反の罪で捕縛された。足利直義により鎌倉二階堂の東光寺に幽閉される。1335年、北条時行が鎌倉へ侵攻した中先代の乱に際して殺害された。
 墓は二階堂理智光寺谷にある。
◆仏像 本尊の阿弥陀如来は護良親王の護持佛と伝えられる。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 当寺サイト、『京都事典』


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map  大原念佛寺 〒601-1242 京都市左京区大原来迎院町270  075-744-2540  
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