革島春日神社 (京都市西京区)
Kawashima-kasug-jinja Shrine
革島春日神社 革島春日神社
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 川島玉頭町(かわしま たまがしらちょう)に革嶋春日神社(かわしま かすが じんじゃ)はある。この地を800年にわたり支配した土豪・革嶋島家の革嶋館邸内に祀られてきた。
 祭神は、春日大神であり、4神、建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)による。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 往古より、山城国葛野郡川島荘に祀られてきたという。(社伝)
 鎌倉時代、1313年、近衛家領・革嶋南庄の荘園管理について、土豪・革嶋氏が当たっていた。(「革嶋家文書」)
 中世(鎌倉時代-室町時代)、革嶋の館が形成されたとみられている。
 江戸時代中期、1702年、「革嶋家屋敷絵図」に当社が描かれている。敷地内の北端中央に革嶋春日神社、その南に大規模な革嶋館があり、周囲は土塁と堀に囲まれていた。(「革嶋家文書」中「革嶋家屋敷絵図」)
 現代、2009年、京都市埋蔵文化財研究所により、革嶋館跡(西京区川島玉頭町)の南東一角の発掘調査が行われた。
◆末社 稲荷社がある。
◆革嶋家 1974年、革嶋家当主・革嶋廉三郎は、代々伝わる「革嶋家文書」を京都府立総合資料館に寄贈している。
 この文書によれば、革嶋家は、佐竹源氏の後裔にあたる。佐竹義隆の弟・義季を初代とした。鎌倉時代、義季は、源頼朝(1147-1199)に追われ、所領を召し上げられる。関白・近衛基通(1160-1233).の近衛家領・革嶋南荘に居住する。2代・義安より革嶋を名乗り、革嶋南庄の下司職に就いた。
 南北朝時代、革嶋幸政は足利尊氏(1305-1358)に従い功を成した。1336年、南庄の地頭職に補任され、幕府御家人(西岡中脈被官人)に取り立てられた。1338年、南庄の下司職を安堵され、さらに北庄の地頭職により一帯を支配していた。
 戦国時代、近郷の田地を得て、西岡一帯の有力な国人領主になる。千代原用水・川島用水の管理権を有しており、今井溝にも関与していた。1565年、三好三人衆・石成友通により丹波に追われる。1568年、織田信長(1534-1582)の入洛に際しては、19代・革嶋秀存が信長に従い、細川藤孝(1534-1610)らの下で軍功を挙げた。このため、1573年に本領を安堵され、加増されている。
 安土・桃山時代、革嶋忠宣は、細川藤孝との縁故により、明智光秀(1528-1582)の家臣の一人になる。このため、1582年、本能寺の変後は本領を没収され、没落した。
 江戸時代、革嶋家は苗字帯刀を許される。1668年-1677年、備後福山藩水野家に仕官し、公家・鷹司家に奉公した。肥後細川家より御目見得として扶持米を与えられる。儒者、大坂懐徳堂塾主・中井竹山(1730-1804)は、革嶋家姻戚に当たり、革嶋家再建に尽力した。
 幕末、革嶋有尚は尊攘運動に加わる。肥後、薩摩、長州藩士と交流した。1868年、戊辰戦争では有栖川宮熾仁親王(1835-1895)の下で旗本隊軍監を務めた。
 近代、1914年、革嶋家の士族編入が認められた。
◆革嶋家文書 「革嶋家文書」(重文)とは、革嶋家に伝わる古文書であり、鎌倉時代-近代、明治期・大正期の800年の誌資料(2129点)による。全国的にも希有とされ、学術的価値も高いという。
 中世文書として、室町時代後期-安土桃山時代の「家宝遺墨(4巻)」は、17世紀後半、22代・幸元による家伝系図の編纂が行われた際に、整理・成巻された。上巻に織田信長関係、下巻に細川藤孝、明智光秀、滝川一益、柴田勝家らの文書がある。幸元は、「源氏佐竹革嶋之系図」、「源家革嶋之伝記」も編纂している。
 ほかに中世文書(土地関係)として、法花寺供田関係、革嶋南庄下司職関係、同庄地頭職を与えられた御判御教書案、南北朝時代の軍勢催促状、着到状など紛失した文書の重書案、革嶋親宣・泰宣等が買得した土地の証文類などがある。
 近世文書は、年貢・土地関係、書状・記録類、身分関係、村方騒動関係、江戸時代、1702年の「革嶋家屋敷絵図絵」などの図類がある。中井竹山、長州藩・品川弥太郎、薩摩藩・高崎正風らとの書簡もあり、「新撰組」「奇兵隊」とも記されている。
 近代文書は、有尚の陵掌・大原野神社宮司関連動、当家士族編入運動関連がある。
◆革嶋館跡 2009年、京都市埋蔵文化財研究所により、西京区川島玉頭町周辺の発掘調査が行われた。室町時代-江戸時代の土器類が多く、江戸時代の瓦類、軒瓦もあった。堀は、室町時代後期-江戸時代に形成されている。中世(鎌倉時代-室町時代)に館が建てられ、その後、平城の革嶋城として整備され、堀、土塁が築かれたとみられる。
 周辺より古墳時代の土坑、溝状遺構、竪穴式住居跡、土器類も出土し、革嶋館以前の遺構とみられている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』、サイト「文化財遺産オンライン」、京都府立総合資料館サイト「当館所蔵『革嶋家文書』が重要文化財に」、『京都大事典』


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map  革嶋春日神社 〒615-8193 京都市西京区川島玉頭町34   
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