凉森神社・美豆城 (京都市伏見区淀)
Suzushinomori-jinja Shrine

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 淀美豆町(よど みずちょう)に凉森神社(すずしのもり じんじゃ)はある。涼森神社の表記もある。かつて、美豆村の産土神だった。 
 祭神は、白鬚大神(しらひげおおかみ、猿田彦神)、神速須佐之男命(かんはやすさのおのみこと )、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)、菅原道眞(すがわらのみちざね)。相殿に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)、天宇受賣命(あめのうずめ)、第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)を祀る。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 古墳時代、第16代・仁徳天皇(在位313-399)が難波高津宮に遷都した際に、この地に安在所(行宮、頓宮、御旅所)が置かれ、 近くに社を創建したのを始まりとするという。(社伝)
 平安時代、901年、菅原道真が筑紫へ左遷された際に、当社に立ち寄り、鈴、自画像を寄進したという。
 中世(鎌倉時代-室町時代)-近世(安土・桃山時代-江戸時代)、この地は、八幡庄の外四郷の一つになる。
 江戸時代、元禄年間(1688-1704)、火災により社記などを焼失した。
 近代、1873年、村社に指定される。
 現代、1961年、社殿は第二室戸台風で損壊した。一時仮宮が置かれる。その後、現在の社殿が再建された。
◆社号 社号の凉森神社の呼称については諸説ある。
 平安時代、901年、菅原道真(845-903)が筑紫へ左遷された際に、当社に立ち寄り、鈴、自画像を寄進したという。以後、「鈴身神社」と称された。後に、凉森神社に転訛したという。
 この地は「美豆(みず)」、「瑞野」、「美津野」とも呼ばれていた。当社は「水津野神社」、「水津森」と称された。境内には、樹木が繁茂し、大変に涼しかったという。以来、涼森神社と称されるようになった。また、「夕涼宮」、「涼宮」とも呼ばれていたという。
 さらに、境内にスズメが多かったため、「雀宮」、「スズメノ宮」(石清水八幡宮叢書)とも伝わる。後に、凉森神社に転訛したともいう。
◆建築 かつて、檜皮葺の本殿が建てられていた。1961年、第二室戸台風により損壊した。一時仮宮を経て、現在の社殿が再建された。コンクリート製神明造。
◆美豆城 戦国時代、宇治川、桂川に挟まれたこの地に、美豆城(みず じょう)が築かれていたという。当社境内脇に、石碑、碑文(城南地誌の会)が立てられている。
 碑文によれば、築城年、築城者、最後の城主も不明という。城郭は100m四方の広さがあり、当社境内の西に築かれていたという。
 室町時代、1418年、当国守護代の三方山城入道(範忠)が、国に入部した。この時、美豆に城郭を構え移住したとある。(『看聞御記』)
 1569年、三好三人衆の1万人の軍勢は、「堺ヲ打立…山城ノミズト云処二陣取」したと記されている。(「足利季世記」)
 現在、城の遺構はない。明治期(1868-1912)、城郭遺構のうち、南辺、西辺の南半の堀があったという。北辺は細い水路になっていた。大正期(1912-1926)にも、東辺の堀は存在していたという。  
美豆 地名の美豆(みず)は、現在の京都市伏見区淀美豆町、久世郡久御山町一帯を意味していた。
 古代、朝廷の牧場「美豆御牧」に属していたという。「瑞野」(『類聚国記』)、「美津野」(『山塊記』)とも記されている。久御山町にかけては、「山城の美豆」、「美豆野」とも記された。
 歌枕にもなった。「山城のみつのみくさに繋がれて駒もの憂げに見ゆる旅かな」、西行(『山家集』)。「皐雨(さみだれ)や美豆の小家の寝覚がち」、蕪村がある。
◆年間行事 大祭(10月23日)。 


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 当社由緒、『京都大事典』『京都市の地名』


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手水舎

手水舎

拝殿

拝所、本殿

拝所、本殿

本殿

相殿

相殿

白長龍王、白姫龍王

白長龍王、白姫龍王

白長龍王、白姫龍王

遥拝所

境内の森

「 石清水八幡宮神領守護不入之所」の石標

「美豆城跡」の石碑

社叢の森

【参照】境内近くを流れている宇治川
map 涼森神社 〒613-0916 京都市伏見区淀美豆柳ノ木3
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