学館院 (京都市中京区)
ruins of Gakkan-in(The student's dormitory)

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朱雀公園


朱雀公園


朱雀公園の西に広がるグランウンド、学館院はこの一帯にあった。
 現在の朱雀(すざく)公園一帯に平安時代の学館院(がっかんいん)は置かれた。橘氏一族の子弟教育のための施設だった。
◆歴史年表 平安時代、844-847年頃、承和年間(834-848)末とも、学館院は、第52代・嵯峨天皇皇后・橘嘉智子(たちばな の かちこ)、その兄・右大臣・橘氏公により右京二条西大宮付近に設けられた。
 848年、橘氏公の没後、橘氏は衰える。学館院も衰微する。
 957年、右京職は太政官に学館院の北町の荒れ地で、群れた狼が女性3人を噛み殺したと上伸(申し述べる)した。前代未聞の事件になる。
 964年、大納言・橘好古(たちばな の よしふる)の奏請(そうせい、天皇に申し上げる)により、学館院は大学別曹(だいがく べっそう)として公認された。(『日本紀略』)。大学寮付属の寄宿施設になる。その後、衰微する。
 1142年頃、建物が倒壊する。その後、跡地は耕田になり、筑垣だけが残された。
 1147年、後白河法皇(第77代)が再興を命じた。左大臣・藤原頼長は学館院の再建計画を練る。
 1156年、保元の乱で頼長は敗死し、学館院の再建計画は頓挫した。
 室町時代、15世紀(1401-1500)末まで、学館院別当職、学館院領は存在したという。
◆橘嘉智子 平安時代の女性・橘嘉智子(たちばな の かちこ、786-850)。檀林(だんりん)皇后。父は橘清友、母は贈正一位田氏。美貌の人だったという。809年、入内。815年、第52代・嵯峨天皇皇后。第54代・仁明天皇(正良親王)、正子内親王(第53代・淳和天皇皇后)などを産む。橘氏としては最初で最後の皇后になり、嵯峨上皇没後も皇太后、太皇太后として勢威をふるう。836年頃、仏教を信仰し、禅院檀林寺を創建し、檀林皇后とも呼ばれた。842年、仁明天皇の皇太子・恒貞親王が廃された政変の承和の変にも関わったという。844-847年頃、兄・橘氏公とともに、橘氏の教育のために学館院を設立した。梅宮大社は井手より遷し、橘家の氏神として祀ったという。
 嵯峨院で亡くなり、深谷山陵(嵯峨陵)に葬られた。
◆橘氏公 平安時代前期の公卿・橘氏公(たちばな の うじきみ、783-848)。井手右大臣。父は橘清友。母は粟田小松泉子。第52代・嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(かちこ)の兄(弟とも)。815年、従五位下。後に、右衛門督、右近衛中将、蔵人頭として嵯峨天皇に重んじられた。844年、右大臣。833年、右近衛大将、参議。844年、右大臣、845年、従二位。没後、従一位を追贈される。
◆橘好古 平安時代中期の公卿・橘好古(たちばな の よしふる、893-972)。父は橘公材、母は橘貞樹の娘。915年、文章生に補任。919年、美濃権掾に任ぜられる。924年、少内記。930年、第61代・朱雀天皇即位により従五位下。933年、宮内少輔、935年、大学頭。939年、大蔵大輔。939年、従五位上。941年、右衛門権佐、946年、権右少弁、950年、従四位下・民部大輔。951年、左中弁。954年、右大弁・弁官。956年、従四位上、958年、公卿に列した。備前権守。960年左大弁。962年、正四位下・美作権守、964年、弾正大弼を兼ねる。966年、従三位・権中納言。967年、中納言、民部卿・大宰権帥を兼帯した。971年、大納言、972年、大宰府で亡くなる。漢詩『扶桑集』を記す。
◆学館院・橘氏 学館院は、「二条、西大路」(「伊呂波字類抄」)、右京の「二条大路南、西大宮大路東」、現在の朱雀公園(中京区西ノ京永本町)付近にあったという。現在の公園の位置は、学館院跡の南東隅にあたる。
 なお、学館院の斜め向かいには、公卿・文人・小野篁(おの の たかむら、802-853)の邸宅があったという。
 学館院は、平安時代、844-847年頃、嵯峨天皇皇后・橘嘉智子、兄・右大臣氏公が設立した。「学官院」、「学宦院」などとも記された。淳和(じゅんな)院の中に開かれた。橘氏一族の子弟の教育のための私学であり、橘氏の潤沢な財源により運営された。長官には橘氏氏長者が就き、学館院領を管轄した。学生(がくしょう)は、聖人の経書を学び、院に寄宿し、蔵書もあった。ここより大学に通った。学館院は、藤原氏の設立した同様の施設「勧学院」に対抗する目的もあったという。
 964年、学館院は、大納言・橘好古により大学別曹としてようやく公認された。大学別曹は、大学の直接の管理下にはなく、大学寮付属の寄宿施設だった。書籍を蔵し、学生は自習を行った。以後、橘氏の長者は、学生を諸国の「掾(じょう、国司3等官)」に推挙できる特権を得る。ほかに、大学別曹としては、和気氏の「弘文院」、源氏など王氏の「奨学院」が開かれた。
 好古の没後、橘氏は勢力を失い、学館院も衰微した。橘氏の長者も欠いたため、橘澄清(859-925)の外孫・藤原道隆(953-995)が長者(是正、ぜじょう)を代行した。後、藤原頼長(1120-1156)に代わる。頼長は学館院の再建を計画する。だが、その死により中止になる。その後、再建されることはなかった。
 室町時代、15世紀(1401-1500)末まで、学館院別当職、学館院領は存在していたという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『平安京散策』『上代学制の研究』『京都大事典』


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map 朱雀公園 〒604-8421 京都市中京区西ノ京永本町13-10
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