土御門内裏跡 (京都市上京区)
The ruins of Tsuchimikado-dairi(The emperor's palace)
土御門内裏跡  土御門内裏跡
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「土御門内裏跡」の石標、京都ガーデンパレス


「此辺 清和院并土御門内裏址」の石標、清和キリスト教会



土御門殿復元図、京都アスニー
 京都御苑の西に、平安時代の土御門内裏(つちみかど だいり)跡に関する石標が2つ立つ。一つは旧内裏跡の南東(京都ガーデンパレス敷地)、もう一つは西(清和キリスト教会敷地)にある。
 土御門内裏は、方一町あり、北は上長者町通、南は下長者町通、東は烏丸通、西は室町通内にあった。 
 「土御門烏丸殿」、「土御門烏丸邸」、「土御門烏丸内裏」とも呼ばれた。里内裏(さとだいり)であり、天皇の居所である内裏のほかに設けられた仮の皇居になる。平安京大内裏を模して造営された最初の御殿だった。
◆歴史年表 平安時代、10世紀(901-1000)、この地には具平親王(964-1009)の邸宅が造営された。
 その後、曽孫・源師時(1077-1136)の邸宅「土御門邸(土御門第)」があったという。また、師時の領に、右大臣・源雅実(みなもと の まさざね、1059‐1127)の邸宅があったともいう。
 1117年、第74代・鳥羽天皇(1103-1156)の里内裏として新造される。紫宸殿、清涼殿なども建てられた。天皇は遷幸(移る)する。(「百錬抄」)
 1118年、小寝殿、南車宿屋、東西中門が棟上げになる。その後、第75代・崇徳天皇(1119-1164)、第76代・近衛天皇(1139-1155)の里内裏になる。
 1138年、焼失する。
 1148年、焼失した。
 1153年、台風により建設中の南殿が倒壊する。
 1156年、再建は中止された。方忌にあたるとされたことによる。以後、内裏が再建されることはなく廃絶する。
 鎌倉時代-室町時代、清浄華院(しょうじょうけいいん)が移された。
 安土・桃山時代、清浄華院は、豊臣秀吉により寺町に移された。
 その後、黄金塗瓦葺の大名屋敷が建てられた。後、秀吉の伏見城造営に伴い屋敷は伏見に移される。
 江戸時代、1636年、この地には水戸藩邸が置かれた。
 1864年、蛤御門の変により藩邸は全焼した。
 近代以降、所有者が次々に代わる。
 現代、1996年、旧地の一部は京都ガーデンパレスになったた。
◆具平親王 平安時代中期の皇族・具平親王(ともひら しんのう、964-1009)。千種殿。第61代・村上天皇の第7皇子。母は荘子女王(代明親王の娘)。2歳で親王宣下。慶滋保胤らに漢詩文を学ぶ。987年、中務(なかつかさ)卿となり、後中書王(のちのちゅうしょおう)と呼ばれた。和歌、陰陽、医術に通じ、能書家でも知られた。第66代・一条天皇朝の文壇に加わる。仏教にも関わる。左京の六条に千種殿を営んだ。著『弘決外典抄』。
◆源師時 平安時代後期の公卿・源師時(みなもと の もろとき、1077-1136)。父は左大臣・源俊房、母は参議・源基平の娘。1113年、兄弟の仁和寺・仁寛が、第74代・鳥羽天皇の暗殺を企てたとして伊豆に配流される。父、兄・師頼、師時は出仕を止める。1122年、蔵人頭、参議。1130年、権中納言。鳥羽天皇の准母(じゅんぼ)・皇后・令子内親王に30年間仕えた。待賢門院藤原璋子の別当になる。有職故実に詳しく、詩歌に優れた。著に日記『長秋記(ちょうしゅうき)』。
◆源雅実 平安時代後期の公卿・源雅実(みなもと の まさざね、1059‐1127)。久我(こが)太政大臣。右大臣・源顕房(あきふさ)の長男。母は権中納言・源隆俊の娘。姉は賢子(第72代・白河天皇の中宮)。1077年、19歳で参議、従一位。その後、内大臣、右大臣、1122年、源氏初の太政大臣に昇る。1124年、病のため辞官し出家、蓮覚と号した。久我家の祖。日記に「雅実公記」がある。
 久我山荘に葬られた。
◆鳥羽天皇 平安時代後期の第74代・鳥羽天皇(とば てんのう、1103-1156)。父は第73代・堀河天皇、母は贈太政大臣・藤原実季の娘・苡子。1103年、堀河天皇の東宮となる。1107年、即位するが、祖父・白河法皇による院政がしかれた。 1123年、子・顕仁(第75代・崇徳天皇)に譲位し、鳥羽離宮を居所とした。1129年より、崇徳・近衛・後白河の3代28年にわたり院政を行う。また、荘園公領制を確立させた。1141年、出家し、御願寺の造営、熊野参詣は23回行う。1149年より、第76代・近衛天皇の即位は、皇位継承をめぐる皇統内部の対立になり、鳥羽天皇の没後、1156年、保元の乱が起きた。
 安楽寿院内の陵墓に葬られた。
◆土御門内裏 土御門内裏は、平安京大内裏を模して造営された最初の里内裏になる。方一町(100m四方)あり、北は土御門大路(上長者町通)、南は鷹司小路(下長者町通)、東は烏丸小路(烏丸通)、西は室町小路(室町通)内にあった。
 1117年、第74代・鳥羽天皇(1103-1156)の里内裏として新造され、紫宸殿、清涼殿なども建てられた。ただ、南面中央の正門である承明門(じょうめいもん)だけは欠いていた。讃岐守・顕能が重任を望み御殿を建てたという。(「百錬抄」)。
 土御門内裏の造営は、白河上皇(第72代、1073-1087)が強力に進めたという。院政期にあって、内裏以外に天皇の住する御所を造営したのは、鳥羽天皇を外部勢力より守護する政治的な意図も働いたとみられている。
 その後、第75代・崇徳天皇(1119-1164)、第76代・近衛天皇(1139-1155)と3代の天皇、30年にわたり里内裏になる。度々焼失し、その度に再建された。1148年にも焼失する。1156年の再建は中止になった。前年に、第77代・後白河天皇の践祚(せんそ)が行われた高松殿の方忌にあたるとされたことによる。以後、内裏は廃絶した。
 現在地に立つ石標に刻まれている「清和院」について、中世、この地に清和院があったとされる。ただ詳細は不明。(『京都坊目誌』)
 なお、「土御門殿(つちみかど)」は、土御門内裏とは別の屋敷だった。土御門殿は藤原道長966-1027).の邸であり、平安京東北、京極大路の西にあった。清和院はその北側にあった。現在の京都御苑内仙洞御所付近になる。


*参考文献 古代学協会・古代学研究所の駒札、『京都歴史案内』『京都史跡事典』


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map 土御門内裏跡 〒602-0912 京都府京都市上京区龍前町605 京都ガーデンパレス
              〒602-8003 京都市上京区清和院町561,室町通中長者町下る東側 清和キリスト教会
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