常光院 〔金戒光明寺〕 (京都市左京区)
Joko-in Temple
常光院 常光院 
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 常光院(じょうこういん)は、金戒光明寺の塔頭になる。三門の東にあり、「八はしでら」とも呼ばれている。門前石段脇に「箏曲開祖 八はしでら」の石碑が立つ。 
 浄土宗。
 京の通称寺に参加する。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 安土・桃山時代、1577年、法誉一岌法師により創建された。当初は明寿院(みょうじゅいん)と号した。
 江戸時代、1644年、常光院に改められ再興された。施主は村上三右衛門妻女(法名・常光院殿雲良周恭大姉)、住持は傅誉雲了西堂による。
 1685年、箏曲(そうきょく)家・八橋検校が当寺に埋葬される。
◆栖松院 栖松院(せいしょういん)と常光院は合併している。栖松院は、室町時代、1564年に建立された。開基は19世・西誉雲栖(さいよ うんせい)上人による。
◆八橋検校 江戸時代初期の箏曲演奏家・作曲家・八橋検校(やつはし けんぎょう、1614-1685)。磐城(いわき)生まれともいう。幼くして失明した。寺尾検校城印に地歌三味線を学ぶ。1636年、京都の寺尾検校のもとで山住勾当(やまずみ こうとう)と名乗った。その後、九州・筑紫箏の玄恕に師事する。寛永年間(1624-1645)初め、大坂で三弦家となる。江戸で筑紫箏(つくしごと)の祖・賢順門下・法水(ほっすい)に学ぶ。寛永年間(1624-1645)半ば、座頭、1639年、京都に戻り、上永検校城談と名乗る。後に八橋検校に改めた。慶安年間(1648-1652)、磐城平藩藩主・内藤風虎の編詞に基づき都節(みやこぶし)音階の平調子(ひらじょうし)を創作した。1662年-1663年頃、江戸・松平直矩邸に移る。1685年、六老として京都綾小路烏丸西入に住んだ。
 作品に組歌「八橋の十三組」、段物「六段の調(しらべ)」「八段の調」「乱(みだれ)」などがある。近世俗箏の開祖、八橋流箏曲の流祖とされた。墓は金戒光明寺・常光院にある。
◆年間行事 春の彼岸会、八橋忌(箏の演奏が奉納される。)(6月12日)、盆施餓鬼会、秋の彼岸会。
 写経会・ミニ説法(毎月25日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 サイト「京の通称寺」、『京都大事典』『くろ谷金戒光明寺に眠る人びと』


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map  常光院〔金戒光明寺〕 〒606-8331 京都市左京区黒谷町33  075-771-4476  
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