清和天皇陵(水尾山陵) (京都市右京区)
Mizuno-sanryo(Imperial mausoleums of Emperor Seiwa)
清和天皇陵(水尾山陵)  清和天皇陵(水尾山陵) 
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表示板、この地点より1.5km(徒歩20分)とある。


手前の山、清和山の中腹に山陵はある。


ユズ畑の中を通る。


ユズ
 嵯峨水尾清和の森の中、石畳みの参道を辿ると清和天皇水尾山陵(せいわ てんのう みずのお さんりょう)がある。清和天皇陵ともいう。
 清和山の中腹(標高300m)に清和天皇の遺骨が葬られている。 
◆歴史年表 平安時代、880年、第56代・清和天皇が水尾山寺を訪れ、終生の地と定めて仏堂造営を行う。
 881年、天皇は病により鴨川東にあった粟田山荘(のちの円覚寺、東山粟田口)に移り、その地で亡くなる。背後の粟田山で火葬される。遺骨は、水尾山寺の近くこの地(現在の清和天皇水尾山陵)に埋葬される。
清和天皇 平安時代前期の第56代・清和天皇(せいわ てんのう、850-881)。名は惟仁。水尾帝(水尾天皇)、水尾御門とも呼ばれた。第55代・文徳天皇の第4皇子、母は藤原良房の娘・明子(染殿皇后)。良房の染殿邸に生まれた。850年、兄の3親王(惟喬、惟条、惟彦)を差し置き、生後8カ月で立皇太子となる。858年、9歳で即位し、後見した外祖父・良房が人臣(臣下)最初の摂政になる。(正式には866年以降)。866年、応天門の変が起こり、大伴家が没落する。876年、天皇は27歳で譲位し、879年、出家、素真と称した。清和院(旧染殿邸)に移る。良房の養子・藤原基経の粟田山荘(後の円覚寺)で落飾する。畿内巡幸の旅へ出る。棲霞観(清凉寺)に住み、天台宗の名刹・水尾山寺に入寺したという。勅命により「貞観格式」が編まれた。粟田山荘で没した。金戒光明寺裏山に火葬塚があり、経塚とされている。嵯峨水尾山(水尾山陵)に葬られた。僧の身となった天皇は生前に、陵墓を造営しないようにと遺詔している。 
 後世、武門の棟梁となる清和源氏の始祖とされた。


*水尾の居住地区を離れると、府道50号線沿いに表示板があります。この地点より左手の細い道に入り、柚子の植えられている山道を抜けて、一度、谷川(水尾川)まで下り小橋を渡ります。ここより九十九折の参道を登り始め、清和山の中腹(標高300m)にある御陵に着きます。道は砂利、石畳で整備され歩きやすくなっています。雨の際には、石畳は滑りやすく注意が必要です。なお、途中に人家はありません。片道1.5km、20分ほど。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都市の地名』『天皇陵を訪ねて』『京都大事典』『天皇陵』


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「左 清和天皇水尾山陵」の石標

下りの石畳

水尾川

登りの参道

宮内庁の境界杭

九十九折の参道

九十九折の参道

石畳の参道

清和天皇水尾山陵

清和天皇水尾山陵

清和天皇水尾山陵、鳥居

清和天皇水尾山陵、御陵
map  清和天皇 〒616-8466 京都市右京区嵯峨水尾清和
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