般若寺 (京都市右京区嵯峨樒原)
Hannya-ji Temple

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 嵯峨樒原(しきみがはら)の地蔵山(標高947.6m)の西麓に般若寺(はんにゃじ)がある。 
 天台宗。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、この地は愛宕山福寿院の寺領だった。(「京都府地誌」)
 江戸時代、1758年、口上書・諸事明細書に福寿院末寺天台浄土宗として記されている。(「樒原共有文書」)
 近代、1983年、文化庁、京都府教育委員会が十一面観音菩薩立像を調査した。
◆仏像 木造「十一面観音立像」(166.3㎝)(京都市指定登録文化財)は、平安時代前期作になる。安土・桃山時代、ある皇女が奈良よりこの地に遷し、般若寺の近くにあった興禅寺の本尊として安置したという。その後、般若寺に遷された。(1945年、「京都重要調査台帳」)。中世(鎌倉時代-室町時代)、安土・桃山時代にも各部に修理が施されたとみられ、後補もある。
 顔は面長で、化仏(後補)、頭上面(後補)を載せる。眼は後に彫り起こしている。体は全体に細く、下半身は意図的に細く長く表現している。左手(臂より先は後補)に薬壺を掲げ、右手は下げる。腹部をやや前面に出し、左足はわずかに前に踏み出し、上半身はやや右に捻じる。裾は後方に開いている。衣文は全体に浅い。条帛は腹上の半ばで細く、右腰にかけて広がり、左腹部へは硬い。天衣も厚く硬い。裳の衣文は、膝上で二段の折り返し、両膝上はU字形衣文になる。背刳りを施し、背板(後補)を当てる。内刳りは多くない。地粉(じのこ)様の下地全面に、肉身、衣に淡朱を施している。この着彩像は、奈良時代に盛んだった、古密教系の赤色檀色(だんじき)像の模擬像という。髪は疎ら彫りで黒く彩色されている。カヤ材、一木造、彫眼。 
 「木造薬師如来坐像」(京都市指定登録文化財)は、平安時代後期作であり、仏師康尚の作風に近い。顔はやや幅広く丸い。眼は仰月形の小ぶり、耳は分厚く大ぶり、撫で肩、足膝部は低く前方へ大きく張り出す。肉身部は膨らみ、衣文はわずかに鎬立ち等間隔に配している。
◆周辺の寺 江戸時代、1758年、口上書・諸事明細書によると、原村(樒原)には、般若寺のほかに、天台浄土宗の無本寺(本山を持たない)・西福寺、黄檗山万福寺末の奥禅寺(おうぜんじ)、無本寺・浄土宗の念仏寺の4寺があった。
 十一面観音菩薩立像が最初に遷されたという興禅寺の名はすでにない。樒原に現在は般若寺だけが残っている。


*普段は非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『古佛』、サイト「京都市内の文化財件数一覧と京都市指定・登録文化財」



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map  般若寺 〒616-8472 京都市右京区嵯峨樒原高見町8   
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