京都ハリストス正教会 (京都市中京区)
Holy Annunciation Orthodox Church in Kyoto
京都ハリストス正教会 京都ハリストス正教会 
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玄関


玄関


左より玄関・鐘楼(3層)、啓蒙所、聖所が見えている。


鐘楼(3層)


鐘楼の屋根


啓蒙所


啓蒙所の窓


聖所
 京都ハリストス正教会(きょうと はりすとす せいきょうかい)は、西日本での布教の拠点になってきた。聖堂は、日本ハリストス正教会の本格的なものとしては現存最古の建築といわれている。
 日本正教会(ロシア正教会)、堂内には聖障イコノスタスと受胎告知聖像が奉安されている。
◆歴史年表 近代、1878年、京都で布教活動が始まり、初の受洗が行われる。
 1880年、伝教者・パワェル・中小路が丹後の間人(たいざ)帰省中に、間人・峰山で公開説教を行う。中小路は徳島に派遣されていた。京都府での正教伝道の初めになる。
 1883年、京都で初めての講義所(伝道所)が船井郡園部村に建てられたという。
 1889年、講義所(京都市押小路通高倉西入る)が設立される。専任伝教者・キリル・笹葉政吉が派遣され、大阪正教会管轄司祭・イオアン・小野荘五郎の臨時管轄下で伝道活動が始まる。
 1890-1893年、ロシア人修道司祭・セルギイ・ストラゴロドスキイ(後のロシア総主教)が、京都での牧会にあたる。
 1894年、シメオン・三井道郎が着任する。
 1897年、現在の境内地「旧京都能楽堂跡地(柳馬場通二条上る)を購入する。
 1901年、1900年とも、京都府技師・松室重光の設計監督した現在の聖堂、生神女福音(しょうしんじょふくいん、受胎告知)聖堂の建設が始まる。
 1903年、聖堂が完成する。ニコライ主教の司祷により、聖堂の成聖式(落成式)が行われる。当初は寮制の京都正教女学校も敷地内に併設された。東京から舎監・ナデジタ高橋五子(いね)が派遣された。
 1906年、アンドロニク・ニコリスキイが、ニコライ主教の補佐として「京都の主教」に叙聖された。
 1907年、アンドロニクは敦賀港に入港し、京都正教会(生神女福音聖堂)で司祷している。だが、体調悪化により3カ月でロシアに帰国した。
 1932年、ヴィッサリオン・高橋長七が着任し、戦時の困難な時期を迎える。
 1945年、聖堂が木造のため、建物疎開の命令を受けて取り壊し寸前になる。終戦により免れた。
 現代、1967年、聖堂は京都市有形文化財に指定された。
 1978年、開教100年祭が催された。
 1986年、聖堂は京都市の有形文化財に指定された。
 1987年、聖堂銅板屋根全面改修などの修復工事を行う。
 1999年、床板修理・絨毯復原新調・内外塗装修理などを行う。
 2000年、ロシア正教会はアンドロニクを「神品致命者」の一人として列聖、ロシア正教会アレクシイ総主教も当教会を訪れている。
 2004年、京都正教会に聖アンドロニクのイコンが、モスクワから届けられた。
 2013年、聖堂成聖110年が催される。
◆アンドロニク・ニコリスキイ 近代のロシア正教会・日本正教会主教・アンドロニク・ニコリスキイ(Андроник Никольский、1870-1918)。ヤロスラヴリ教区に生まれる。俗名はウラジーミル・ニコリスキイ。父は輔祭。1891年、ヤロスラヴリ神学校を卒業、モスクワ神学大学に入学。在学中の1893年、修道士となり、修道名・アンドロニクのを授かる。1895年、修道司祭に叙聖された。後、クタイシの神学校に赴任。1898年、来日し、日本正教会で修道司祭となる。1900年、掌院に昇叙。1906年、ロシア正教会の聖務会院により、京都の主教に叙聖された。1907年、敦賀港に入港し、京都正教会(生神女福音聖堂)で司祷している。体調の悪化により3カ月でロシアに帰国した。その後、来日した経験のあるセルギイ・ストラゴロツキイと、ロシア正教会で活躍した。1905年、第一次ロシア革命、1917年、第二次ロシア革命により、ロシア正教会は大弾圧を受けた。1918年、4月、アンドロニクは大主教となる。6月、ボリシェヴィキはペルミの森で、アンドロニクに自ら墓穴を掘らせ、生き埋めにして銃殺した。47歳。
 2000年、ロシア正教会はアンドロニクに「ペルミの神品致命者聖アンドロニク」の称号を贈り列聖。「初代京都の主教聖アンドロニク」とも呼ばれる。2004年、京都正教会にモスクワから聖アンドロニクのイコンが贈られた。
◆セルギイ・ストラゴロドスキイ 近代のロシア人修道司祭・セルギイ・ストラゴロドスキイ(生没年不詳)。1890-1893年、20歳代半ばでロシア人修道司祭として、京都での牧会にあたる。1898年、聖ニコライと、北海道・千島列島の正教会を巡回し、旅行手記『По Японии』(邦訳『北海道巡回記』)を著した。後の第12代ロシア総主教。
◆松室重光
 近代の建築家・松室 重光(まつむろ しげみつ、1873-1937)。1894年、第三高等中学校を経て、1897年、東京帝国大学造家学科を卒業、大学院に進学、在籍のまま京都市の嘱託技師となる。1898年-1904年、京都府技師。部下の汚職に連座したとして官職を辞し、1905年、九州鉄道株式会社技師、1908年、関東都督府技師。1920年、満洲建築協会初代会長に就任、1922年、関東都督府を依願退職。1923年、大阪電気博覧会嘱託。1927年、片岡建築事務所入所。1930年、松室建築事務所を開設した。
 京都の社寺建築の修復・保存に関わる。京都の作品としては京都市武徳殿(1899年)、京都ハリストス正教会聖堂(1901年)、京都府庁舎旧本館(1904年)など。
◆建築 「生神女福音聖堂(しょうしんじょ ふくいん せいどう)」(京都市有形文化財)は、1901年より正教会の京都聖堂として建設された。東京・ニコライ堂に次ぐ規模を誇り、日本ハリストス正教会の大型の本格的な木造聖堂としては現存最古といわれている。
 「ハリストス」とは、ロシア語で「キリスト」を意味する。「生神女」とは、日本正教会の表現であり「聖母マリア」を意味し、ギリシア語の「テオトコス」の訳語になる。
 設計は、京都府技師・松室重光による。1903年、聖堂の成聖式(落成式)が行われる。ロシア正教会から寄付された聖像(イコン)30枚が嵌め込まれた聖障(イコノタス、聖所と至聖所を仕切る部分)は、モスクワのエパネチニコフ工房が制作した。ただ、横幅が長かったため、京都では両端を斜めに屈折させて対応した。教鐘、大燈明が設置された。1986年、京都市の有形文化財に指定されている。1987年、聖堂銅板屋根全面改修などの修復工事が行われる。1999年、床板修理・絨毯復原新調・内外塗装修理などを行っている。
 西より東に玄関・鐘楼、啓蒙所、聖所、至聖所の4室が一直線に並ぶ。各室は各々異なる長方形の部屋であり、これらが接合している。聖所は横幅が広いため、この部分を中心にして平面的には十字架形(船型)をしている。玄関上には3層(22m)の鐘楼がある。屋根は葱坊主型のドーム屋根でありギリシア十字架が立つ。聖所の屋根は寄棟造、頂部に八角形平面の小塔があり、葱坊主型のドーム屋根に十字架が立つ。建築様式は、石材を使わない木造のロシア・ビザンチン様式であり、和洋折衷の建築になる。八角塔、ドーム屋根、独特の窓回り装飾が見られる。室内は白漆喰、下見板張。外壁は白壁、木造平屋建、最大幅15m、奥行27.21m、総高22.3m、屋根は銅板葺。217.78㎡。
 聖堂は、全国の正教会堂の雛形になった。1903年の成聖式に参祈祷した副輔祭・モイセイ河村伊蔵(1860-1940)は建築家でもあった。1913年に豊橋聖使徒マトフェイ聖堂(重文)、1916年に函館復活聖堂(重文)を設計している。
◆文化財 1903年、ロシア正教会から寄付された聖像(イコン)30枚は、20世紀初頭の帝政ロシア下のモスクワで描かれた。1917年のロシア革命により、ロシア本国では多くのイコンが失われた。現存するイコンとして貴重とされ、名品といわれている。欠損部分は聖像画家・イリナ山下りんが補修した。聖人、「最後の晩餐(ばんさん)」などが三段構成で描かれている。1945年も、太平洋戦争時、建物疎開の命令が下り、イコンは一度取り外された。このため、一部に彩色の剥落がある。
 聖障(イコノタス)は上段左側より、「聖メフォディ/聖キリィル」、「聖使徒シモン・ジロト/イウダ・イアコフ/マトフェイ」、「聖大ワシリイ/神学者グレゴリー」、「聖使徒アンドレイ/フイリツプ/ペトル」、「宝座に坐する全能の救世主」、「イオアン/アルフェイの子イアコフ/セベディの子イアコフ」、「聖金ロイオアン/聖使徒パウエル」、「聖使徒ワルフォロメイ/フォマ/マトフィイ」、「聖大候ウラディミル/聖太后オリガ」。
 中段左側より「十字架拳栄祭」、「聖神降臨祭(ペンテコスト)」、「主の降臨祭」、「生神女就寝祭」、「機密(最後)の晩餐」、「生神女誕生祭」、「主の顕栄(変容)祭」、「復活大祭(聖大パスハ)」、「主の昇天祭」。
 下段左側より「奇蹟者聖ニコライ」、「主の洗礼(神現)」、「聖預言者モイセイ/北門」、「聖母子」、「天門(王門)と大天使ガウリイルと至聖生神女/聖福音者イオアンとルカ/マルコとマトフェイ」、「救世主イイスス・ハリストス」、「天使長(神使首)ミハイ/南門」、「至聖生神女の福音」、「ルイルクーツクイの奇蹟者聖インンノケンティ」。
 ほかに、イリナ山下りん筆の聖像「至聖生神女之福音(堂祭の聖像)」、1905年の日露戦争時ロシア兵捕虜献納の聖像「ミラ・リキヤの奇蹟者聖ニコライ」、聖像「聖母子(生神女と幼子イイスス)」、聖像「至聖生神女の福音」。
 クロンシュタットの聖イオアン寄贈の銀装大判「福音書」。
 聖像・イリナ山下りん、金属細工師・アンドレイ雨宮卯三郎の彫金「大十字架」。
 ロシアで作られた聖器物の銀製「聖爵(ボティール)」「聖盃(ディスコス)」「聖匙(せいひ)」「聖戈(せいか)」「接吻十字架」などがある。ほかにも、帝政ロシア時代の燭台、シャンデリアなどがある。
◆年間行事 晩祷(毎週土曜日夕刻)、聖体礼儀参祷(聖堂内拝観可)(毎週日曜午前)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 サイト「京都ハリストス正教会・生神女福音聖堂:日本正教会」、パンフレット「京都ハリストス正教会・生神女福音聖堂:日本正教会」、サイト「函館ハリストス正教会」、パンフレット「京都ハリストス正教会 生神女福音聖堂」、『平成28年第52回 京都非公開文化財特別公開 拝観の手引』『京都大事典』『京都モダン建築の発見』


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聖所の窓

聖所の玄関

至聖所

聖所の屋根

聖所の屋根、ギリシア十字
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