八幡宮 (京都市山科区)
Hachiman-gu Shrine
八幡宮 八幡宮 
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手水舎
 山科区勧修寺の八幡宮(はちまんぐう)は、八幡山(亀甲山)中腹にある。山科八幡宮、種子(しゅじ)八幡宮 吉利倶(きりく)八幡とも呼ばれた。かつて、神仏習合期には、境内の北にある勧修寺の鎮守社として祀られていた。現在は、地区の産土神として崇敬されている。
 祭神は第15代・応神天皇(おうじん てんのう)、第14代・仲哀天皇(ちゅうあい てんのう)、仲哀天皇皇后・神功皇后(じんぐう こうごう)。
◆歴史年表 平安時代、853年、創建されたという。以来、江戸時代までは勧修寺の鎮守社として祀られた。
 900年、勧修寺・鑑守により創建されたともいう。第60代・醍醐天皇が亡き母・藤原胤子皇太后(?-896)追贈・追悼のために寄進したという。(社伝)
 室町時代、1458年、足利義政が社殿を造営する。神田などの寄進があった。
 応仁・文明の乱(1467-1477)により、末社、神宝、旧記を焼失し荒廃した。(社伝)
 安土・桃山時代、1598年、当社が伏見城北東に位置したため、豊臣秀吉が崇敬した。没後その遺命により、前田玄以は、金燈籠1基、木造燈籠2基、神田12石を当社に寄進した。(社伝)
 江戸時代、1617年、常盤松岡城主・戸澤政盛が社殿造営する。(社伝)
 1635年、勧修寺大僧正・寛海長吏により、禁中、仙洞、国母、将軍などの寄進があり屋根などの修理を行う。(社伝)
 1695年、現在の本殿が建てられた。願主は戸澤能登守・平政誠(政寔)による。(社伝)
◆末社 境内の若宮八幡の祭神は加茂神、吉野神。武内社は吉野神、貴船神。天満宮は日吉神、稲荷神を祀る。
 金神宮は、祭神は金山彦神、金山姫神になる。かつて社殿があった。現在は石碑と石垣だけが残る。金運向上、蓄財の信仰を集めた。当社の八幡神勧請に際し、金色に輝くご神木の伝承があり、それに関連しているともいう
◆建築 現在の「本殿(京都市有形文化財)」は、江戸時代、1695年に建てられた。願主は戸澤能登守・平政誠、大工・西川仁左衛門による。仁左衛門は後に勧修寺の宸殿などの造営も行っており、勧修寺元禄復興の一環として当宮も建てられたとみられる。
 修理が重ねられている。江戸時代、1734年、1779年、1853年、近代以降も、1902年、1921年、1936年、棟修復、1953年、1983年、屋根葺き替えが行われた。
 内陣正面寄りに祭壇、柱間は外陣正面は吹き放しになる。内外陣境は、幣軸付両開き板唐戸、横羽目板敷。軒は二軒垂木。妻に豕扠首(いのこさす)、猪の目懸魚(けぎょ)。桁行3間、梁行2間、正面に向拝(改変)1間。切妻造、檜皮葺。
 「拝殿」は、山階宮家の寄進による。
◆文化財 安土・桃山時代、1598年、当宮を崇敬した豊臣秀吉の遺命により、前田玄以は金燈籠1基、大型の木造燈籠2基、神田12石を寄進した。このうち、大型の木造燈籠1基、金色釣燈籠1基、棟札が残る。
◆閼伽井 第60代・醍醐天皇が身を清め、灌頂の閼伽香水に用いたという閼伽井(あかい)が境内にある。「御霊神水」と呼ばれ、この地も「閼伽井」と呼ばれていた。
◆樹木 「区民の誇りの木」に指定されているツブラジイの巨木がある。
 楠木正成(1294? -1336)の記念楠がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 「八幡宮の由緒」『京都大事典』『京都市の指定文化財 第5集』


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「区民の誇りの木」、ツブラジイ

天満宮

天満宮

天満宮

天満宮、安産の神

豊臣秀吉寄進の大型木造燈籠

ご神木のスギ

神器殿

神器殿

御神矢、総代会が奉納した。

拝殿

本殿

式内社

式内社

金神宮の石碑

楠木正成記念のクスノキ

若宮八幡宮社

若宮八幡宮社

【参照】八幡山
平安京オーバレイマップ
map  八幡宮 〒607-8218 京都市山科区勧修寺御所内町94   075-312-1123 
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