仲野親王陵・太郎稲荷神社 (京都市右京区)
Imperial Tomb of Imperial Prince Nakano-shinno

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仲野親王高畠の墓


仲野親王高畠の墓



仲野親王高畠の墓


帷子ノ辻の地名
 京福電鉄帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅の北西に平安時代前期の皇族「仲野親王陵(なかの しんのう りょう)」がある。
 陵は南北の丘陵地になっており、親王墓、高畠陵(たかばたけ りょう)とも呼ばれている。陵の頂上には太郎稲荷神社が祀られているという。
◆歴史年表 詳細は不明。
 平安時代、867年、仲野親王は没し、この地に葬られた。(『三代実録』)。廃墳の一つを陵に転用したともいう。
仲野親王 平安時代前期の皇族・仲野親王(なかの しんのう、792-867)。第50代・桓武天皇の第12皇子。母は藤原河子(藤原大継の娘)。平城・嵯峨・淳和天皇の異母弟。同母姉妹に安勅内親王・大井内親王らがいる。814年、四品に初叙。826年、上総太守、827年、中務卿、830年、大宰帥に任じられ、833年、三品。838年、上総太守、842年、弾正尹、846年、上野太守、847年、二品に昇叙した。850年、式部卿、853年、常陸太守、861年、上総太守、863年、大宰帥を兼任。晩年、輦車による宮中の出入り、禁野外での遊猟、鷹と鶴の飼養が許された。没後の887年、定省親王が即位(第59代・宇多天皇)し、外祖父として一品太政大臣が追贈される。六条第に住む。左大臣・藤原緒嗣より伝えられた、寿詞(臣下から天皇に奏上する祝賀の朗読文)、宣命(天皇の命令を伝える文書)の宣読に優れ範とされた。
 山城国葛野郡の高畠墓(京都市右京区)に葬られたという。
◆仲野親王高畠の墓 仲野親王陵の詳細は分かっていない。前方後円墳(60m)であり、周囲には堀が掘られた。墓は廃墳(神代三陵)の一つを転用したともいう。『延喜式』には、「在山城国葛野郡墓戸一烟」とある。陵の頂上付近には、太郎稲荷神社が祀られているという。
 平安時代、『延喜式』諸陵寮に、神代三陵(かみよ さんりょう])の記載があり、「已上神代三陵、於山城国葛野郡田邑陵南原祭之、其兆域東西一町、南北一町」と記されている。田邑陵(平安時代前期の第55代・文徳天皇陵)の南側に祭場があり、3陵の祭祀が行なわれたという。
 この神代三陵(神代三山陵)とは、日本神話の3神である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の3陵をいう。それぞれ、鹿児島県の可愛山陵、高屋山上陵、吾平山上陵が治定されている。ただ、3陵の祭祀を行う祭場は右京区付近にあったともいう。場所は特定されていない。
◆帷子ノ辻 「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」(右京区太秦帷子ヶ辻町)の地名由来は、地形に因るともいう。北よりの台地の末端は崖地になり平地に接している。南側に向かう道は塞がれているため、「片平(かたひら)」と呼ばれたともいう。道が、片側だけに分岐する地点を意味するという。
 また、檀林皇后(橘嘉智子、786-850)葬送の車が嵯峨深山谷に向かう途中、この付近を通りがかる。骸骨を嵯峨野に捨てるためだったという。この時、棺を覆っていた経帷子(きょうかたびら)が、一陣の風に吹かれ散り落ちたことによるともいう。(『雍州府志』『都名所図会』)
 ただ、檀林皇后ではなく、この付近に御陵がある仲野親王に由来するともいう。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都の地名検証 2』『京都市の地名』『京都大事典』『京都の地名検証』


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map  仲野親王陵 〒616-8174  京都市右京区太秦垂箕山町(たるみやまちょう) 
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