夕霧太夫遺跡 (京都市右京区)
The ruins of YUGIRI-tayu
夕霧太夫遺跡 夕霧太夫遺跡 
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 清凉寺の西、通りの北に「夕ぎり大夫遺跡」の小さな石標が立つ。
 この地は、江戸時代の名妓と謳われた島原の初代・夕霧太夫の墓を示すという。
◆夕霧太夫 江戸時代の太夫・初代・夕霧太夫(ゆうぎり たゆう、?-1678)。照(てる)。京都・嵯峨近くで生まれたという。島原「扇屋」の太夫になる。扇屋が大坂・新町に移り、夕霧太夫は主人とともに移り大坂で太夫となる。美貌、諸芸に秀で髄一の人気を集める。京都の吉野太夫と並び名妓と謳われた。病没し、大坂中が死を悼んだという。22歳/27歳ともいう。
 墓は浄国寺(大阪市天王寺区)、徳島、和歌山、京都にある。生家が清涼寺塔頭・地蔵院の檀家のため、ここにも墓が立てられた。後に、地蔵院は廃寺になる。現在、墓は清凉寺北の境外墓地内にある。墓は、大覚寺塔頭・覚勝院が管理する。
 命日(陰暦1月6日/7日とも)は「夕霧忌」として俳句の季語(晩冬)にある。
◆瑠璃・歌舞伎 夕霧太夫の没後、浄瑠璃・歌舞伎などの作品が多く作られ、「夕霧伊左衛門(夕霧)」と総称された。
 江戸時代、近松門左衛門(1653-1725)の人形浄瑠璃、世話物『夕霧阿波鳴渡』は、夕霧の三十五回忌追善に書かれ、1712年に初演された。遊女夕霧と藤屋伊左衛門との恋愛を描く。
 ほかに、浄瑠璃『廓文章』、歌舞伎『夕霧名残の正月』『夕霧七年忌』などがある。
◆年間行事 「夕霧供養祭」(清涼寺本堂で法要、島原太夫による奉納舞、太夫道中、夕霧太夫の墓参が行われる。)(11月第2日曜日)。


*「太夫」「大夫」の2つの表記があります。石標には「大夫」と刻まれています。
*参考文献 


   関連・周辺清凉寺      関連・周辺覚勝院〔大覚寺〕      周辺      関連島原(旧花街)         
map  夕ぎり大夫遺跡 〒 京都市右京区嵯峨二尊院門前北中院町 
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