河原家住宅 (京都市右京区嵯峨越畑)
KAWARA Family residence

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長屋門


長屋門



長屋門

 嵯峨越畑(さが こしはた)の府道50号線沿いの高台に、田圃に囲まれて民家「河原家住宅(かわらけじゅうたく)」(京都市指定文化財)が建つ。
 年代の判明している民家としては、京都市内最古という。
◆歴史年表 近世(安土・桃山時代-江戸時代)初め、16代・河原源之充は、武士より帰農し、当地へ移り住んだという。また、1600年、先祖の河原備前義が領主・福寿院の目付として越畑に移るともいう。(「口上書」)
 江戸時代、1657年、現在の主屋が建てられた。(「棟札」)
 1696年、現在の長屋門が建てられる。(「棟札」)
 1859年、家相図には、主屋、長屋門、米蔵、衣装蔵、土蔵、小屋、納屋、厨厠屋、柴小置場、ウマヤなどが描かれている。ぼぼ、現在の位置に重なる。(「家相図」)
◆河原源之充 河原源之充(生没年不詳、かわら げんのじょう)。詳細不明。河原長右衛門の子。河原家16代。豊臣秀吉(1536-1598)に仕えた。後に、帰農し、当地へ移り住んだという。
◆河原家 河原家は、飛鳥時代の政治家・藤原鎌足(ふじわら の かまたり、614-669)子孫・實家(さねいえ)が、河原姓に改めたことに始まるという。
 14代・實勝(さねかつ)は丹波国神吉(かみよし)に別家領地を得て住む。豊臣秀吉に仕えた16代・實則(さねのり、河原源之充)が現在地(越畑字城のふるみ)に移る。領主・福寿院の目付だった。   
 幕末に、23代・實次(さねつぐ)は、嵯峨大覚寺の御典医を務めた。
◆建築 南北に長形の敷地は周囲を石垣(40m)、塀に囲まれている。敷地内石垣上に、長屋門、主屋、米蔵、衣装蔵などが残されている。なお、建物には、後世の改造がみられる。江戸時代末、1859年の「家相図」には、現在の建物に加え、東北隅に土蔵、小屋、主屋の北に納屋、厨厠屋、柴小置場、北端に裏門、焼土小屋、東の裏山に祠も描かれている。
 「長屋門」は、南寄りに開く。棟札により、江戸時代、1696年に建てられた。大工棟梁は桑田郡川関村・八木権兵衛だった。この年代としては古い門になる。茅葺。
 「主屋」は、棟札より、江戸時代、1657年に建てられた。年代の判明する民家としては、京都市内最古という。惣大工は嵯峨・三右衛門、日用頭は亀山・次郎介だった。大型の「摂丹型(せったんがた)」の民家になる。これらは、摂津北部、丹波地方に見られる建築様式という。式台付き玄関は張り出し、西側の角屋座敷(つのや ざしき)は、書院風であり、床の間、付書院があり、主屋から突出する。角屋造になる。このため、屋根も鍵の手に曲がる。居室は2列あり、玄関より表の間、遣りの間、座敷、控の間、中の間、6畳間、別棟の室などがある。東寄りに台所、調理の間、味噌部屋、土間(竈)、中庭などがある。妻入、茅葺。
 「米蔵」は、長屋門の右手(東)、「衣装蔵」は主屋の裏(北)に建てられている。
 「馬小屋」は主屋の東、「物入れ」は、主屋の北にある。いずれも近年に建てられた。
◆庭園 敷地の南西隅、座敷に面して池泉の前栽がある。
◆樹木 敷地の南東にイチョウの大木がある。
 庭にはサザンカ(京都市指定保存樹)が植えられている。江戸時代、1657年に現在の主屋が建てられた頃に植栽されたという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 京都市の説明板、『京都市文化財ブック第4集 洛北の民家』、サイト「北山型民家-京都市-京都市文化観光資源保護財団」


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map  河原家住宅 〒616-8491 京都市右京区嵯峨越畑北ノ町38-1    
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