薬師町・城東寺跡 (京都市東山区)
Yakushi-cho
薬師町・城東寺跡  薬師町・城東寺跡
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薬師町の通り


薬師町の町名板


やくし小路の表示板
 薬師町(やくしちょう)の地名は、かつて天台宗の城東寺の薬師堂が由来になった。御堂は、熊野比丘尼(くまのびくに)の拠点になっていたという。近代に廃寺になる。
 天台宗、後に禅宗に改めた。本尊は薬師如来だった。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、1183年、宝領寺(ほうりょうじ)が焼失している。城東寺はその一部だったともいう。
 鎌倉時代、1210年、城東寺の名がある。(「百錬抄」)
 南北朝時代、1379年、勅願寺に属していた。(「御教書」)
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)頃、当初の天台宗から禅宗に改めた。建仁寺に属する。(『山城名勝誌』)
 江戸時代、薬師町は南禅寺・楞厳院(りょうごんいん)の末寺になる。(「旧高旧領収調帳」)
 1690年、薬師の図子(比丘尼図子)に熊野比丘尼がいたと記されている。(『人倫訓蒙図彙』)
 1745年、薬師辻子は、建仁寺通、松原下る東側にあり、比丘尼辻子とも呼ばれた。(『京羽二重大全』)
 1762年、薬師堂は、「きぬかい薬師堂」とも呼ばれていた。(『京町鑑』)
 1787年、城東寺の本尊・薬師像について記されている。(『拾遺都名所図会』)
 近代、1882年、薬師町、薬師辻子町は薬師町に改められる。
 1873年、城東寺は廃寺になる。
◆本尊 本尊は当初、丈六の薬師如来だったという。平安時代初期の伝教大師(最澄、767-822)の作によるという。室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により破壊される。後に、造り直され半丈六として小堂に安置された。「絹買薬師堂」と呼ばれ信仰を集める。(「拾遺都名所図会」)。この薬師堂が薬師町の地名の由来になる。1873年の廃寺後、薬師像は行方は不明になったという。
◆熊野比丘尼 薬師町はかつて比丘尼辻子と呼ばれた。城東寺の薬師堂が比丘尼の拠点になっていたともいう。比丘尼とは、墓参、六道詣りに訪れた人々に地獄極楽の絵解き、起請用の熊野誓紙を売っていた。また、家々を訪ね歩き、絵解きして牛王宝印を売った。
 室町時代以後、「熊野比丘尼(びくに)」は、「勧進比丘尼」、「絵解き比丘尼」、「歌比丘尼」とも呼ばれた。比丘尼とは出家し、定められた戒を受けた尼僧をいう。鎌倉時代-室町時代には、尼僧の姿で諸国を巡り歩いた女芸人もいた。絵解きとは、平安時代末期に、琵琶を奏で、地獄の様などを描いた絵図を示して講釈した人々をいう。 
 熊野比丘尼は、「熊野詣曼荼羅」「地獄極楽変相図」などの絵解きをし、三所権現(熊野三社の主祭神、本宮の家都御子神、新宮の熊野速玉神、那智の熊野夫須美神)の三神について解説した。熊野三山で配布される特殊な神札「熊野牛王宝印札(熊野牛王符、熊野牛玉符)」を売り、熊野詣を勧めていた。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『京都・山城寺院神社大事典』『京都の地名検証』


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