夢の浮橋(落橋)跡 (京都市東山区)
ruins of yume-no-ukihashi Bridge
夢の浮橋(落橋)跡 夢の浮橋(落橋)跡
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「夢の浮橋跡」の石碑

一之橋川の旧流路、鴨川に流れていた。現在は道になっている。


泉涌寺道、緩い登り坂が続いている。

 泉涌寺に続く泉涌寺道の途中、南側に、「夢の浮橋跡(ゆめのうきはし)」の石碑が立つ。
 付近にはかつて、一之橋川が流れ、「夢の浮橋」(全長7.2m)が架けられた。橋は「大路橋(おおじばし)」、「落橋(おちはし)」とも呼ばれる。
 浮橋は、鎌倉時代の第87代・四条天皇など歴代天皇、后妃などを葬る泉涌寺へ向かう葬送のためのものであり、葬列の度毎に架け替えられていたという。
◆歴史年表 室町時代、1500年、第103代・後土御門天皇が亡くなり、葬送は、夜間に松明を持って行われた。葬列は、七条河原(鴨川?)に架かる「浮橋」を渡り、東行し、法性寺を南行、その後、泉涌寺に向かったと記されている。 (『和長卿記』)
 江戸時代、1684年、天皇が亡くなると御車は、禁裏門より、大和大路、落橋を渡り泉涌寺に向かっていたという。橋は葬送毎に架け替えられていた。(『雍州府志』)
 1697年、橋は架け替えられた。 (『京都御役所向大概覚書』)
 1771年、落橋、夢の浮橋について「俗伝」と記している。 (『山州名跡志』)
◆一之橋川・夢の浮橋 夢の浮橋跡の石碑には、「ことはりや夢の浮橋心して還らぬ御幸しばし止めむ」と刻まれている。
 一之橋川は、東福寺境内北東近くに流路がある。川は今熊野、阿弥陀ヶ峰、泉涌寺山に源流があり、泉涌寺北より、菅谷、伏見街道の一之橋(伏水街道第一橋)に流れ下り、鴨川(琵琶湖疏水)に合流していた。
 かつて、現在地には、一之橋川の流れがあり、夢の浮橋があった。橋名の由来は、『源氏物語』第54帖、『宇治十帖』中「夢浮橋」に因むという。娑婆の無常観を夢にたとえ、浪に漂う浮橋のように儚いものとした。 
 大路橋とは、今熊野観音の参道、観音寺大路に由来する。落橋とは、橋が葬送度に架け替えられたため、零落を長久の兆とし、ついには祝して落橋と呼び慣わしたものという。(『雍州府志』)
 

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 駒札、『京都の地名検証 3』『京都大事典』


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map  「夢の浮橋跡」の石碑 〒605-0974 京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町
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