在原業平父母塔 (京都市西京区)
grave of ARIWARA no Narihira
在原業平父母塔  在原業平父母塔
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在原業平父母塔


伊都内親王の五輪石塔


阿保親王の五輪石塔


在原業平の五輪石塔
 西方寺の西の竹薮の中に、平安時代の歌人「在原業平(ありわら の なりひら)父母塔」といわれる3基の五輪石塔が立つ。
 北に、父・阿保親王、中に母・伊都内親王、南にやや小ぶりの在原業平の五輪石塔がある。伊都内親王は、晩年に長岡に暮らし、都に住んだ業平の訪れを待つ日々を送ったという。(『伊勢物語』)
◆歴史年表 詳細は不明。
◆伊都内親王 平安時代前期の皇女・伊都内親王(いと ないしんのう、?-861)。伊登、伊豆。父は第50代・桓武天皇、母は藤原乙叡の娘・藤原平子(へいし)。806年、父を失う。808年、外祖父を失う。824年頃、第51代・平城天皇の子・阿保(あぼ)親王と結婚した。825年、業平が生まれた。833年頃、母を失い、遺言により興福寺に墾田を寄進した。842年、阿保親王が亡くなる。848年、京の宅に落雷があった。晩年、長岡に暮らしたという。(『伊勢物語』)。業平に贈った歌が「古今和歌集」にある。興福寺に「伊都内親王願文」が残る。
◆阿保親王 平安時代前期の皇族・阿保親王(あぼ しんのう、792-842)。第51代・平城(へいぜい)天皇の第1皇子、母は葛井藤子(ふじい の ふじこ)。810年、薬子(くすこ)の変に連座し、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷された。この間に仲平(なかひら)、行平(ゆきひら)らをもうけた。824年、嵯峨上皇(第52代)の勅により許され京都に戻る。同年、伊都内親王と結婚した。825年、業平が生まれた。826年、上奏し、子息の改賜姓を願い、仲平、行平、業平(なりひら)、守平(もりひら)に在原(ありわら)朝臣を賜姓された。治部卿、宮内卿、兵部卿、弾正尹を歴任し、上野(こうずけ)、上総(かずさ)の太守を兼ねる。842年、伴健岑(ともの こわみね)、橘逸勢(たちばな の はやなり)らの謀反の企て(承和の変)を、太皇太后・橘嘉智子に密告したため失敗した。恒貞親王の皇太子廃止になる。文武の才があり、弦歌に秀でた。
 墓は親王塚古墳(芦屋市)がある。
◆在原業平 平安時代の歌人・在原業平(ありわら の なりひら、825-880)。第51代・平城天皇の皇子・阿保親王の5男、母は第50代・桓武天皇の皇女・伊都(登)内親王。826年、兄・行平とともに在原姓を賜る。臣籍に列した。在五中将、在五などとも呼ばれた。右馬頭、右近衛権中将を経て、879年、蔵人頭になったという。妻は紀有常の娘。第55代・文徳天皇の皇子・惟喬親王に親しく仕えた。恋愛関係にあっ た二条后・藤原高子の引き立てを受けたという。
 藤原氏に反発し、奔放な生活を送る。『伊勢物語』の一部は業平の自作ともいう。色好み「昔男」は業平ともいう。新しい和歌を生んだ歌人の一人であり、『古今集』には30首が入集。六歌仙、三十六歌仙の一人に数えられた。邸宅は、中京区高倉通姉小路上ル付近にあったという。
◆業平の遺跡  京都市内には、複数の在原業平ゆかりの史跡がある。
 大原野小塩(おしお)には、業平の閑居があったという。十輪寺(西京区)には業平塔(宝篋印塔)・塩竈跡がある。恵比須神社末社・岩本社(東山区)は業平を祀る。吉田山の竹中稲荷神社(左京区)近くには「業平塚」と伝わるものがある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 『昭和京都名所図会 6 洛南』『京都大事典』


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map  在原業平父母塔 〒610-1131  京都市西京区大原野上羽町
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