宝ヶ池 (京都市左京区)
Takaragaike Park

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国立京都国際会館


比叡山




 人口溜池の宝ヶ池(たからがいけ、宝池)は、四方を松ヶ崎林山、寝子ヶ山などの小山に囲まれ、比叡山を望む景勝地になっている。五山の送り火で有名な松ヶ崎「妙」の万灯龍山(西山)と「法」の大黒天山(東山)にも近い。池は5ha、周囲は1.5kmある。
 池を中心として宝ヶ池総合公園(36万9000㎡)が設置されている。 
◆歴史年表 江戸時代、1746年、1763年、宝暦年間(1751-1763)とも、松ヶ崎村の水田灌漑用の溜池として造られた。かつては単なる深田だった。当初は、湧水を堰き止めたただけであり、土手の高さは12尺(3.6m)程度だったという。
 1855年、現在の広さに拡張される。
 近代、明治期(1868-1912)末、「宝ヶ池」と名づけられた。
 1931年より、京都市の所有になる。
 1942年、公園計画が策定された。
 現代、1945年、戦後、京都市の公園として整備される。
 1948年、宝ヶ池総合公園の建設計画が出される。米進駐軍に接取された動物園の移転と野球場建設が予定された。だが、建設中の野球場は急遽、京都市公営の宝ヶ池競輪場に変えられる。競輪(1949-1958)も開催された。
 1964年、競輪場跡地に「こどもの楽園」が建設される。
 1966年、国立京都国際会館が開館した。
◆宝ヶ池 池の名は、かつて「溜池」「北浦溜池」と呼ばれ、明治末になって「宝ヶ池」と名づけられた。
 周辺の農村で深刻な水争いが続いたことから、「宝のような水」に対する思いが込められている。また、池の形が分銅型であり、そのため宝にたとえられたともいう。宝暦年間(1751-1763)に造られたためともいう。
 池から流れる水は山があるために、一端岩倉川、高野川に流され、井出ヶ鼻井堰から松ヶ崎村に送られた。
◆国際会館 1964年、競輪場跡地に「子供の楽園」が建設され、隣地に、1966年、国立京都国際会館が開館した。日本初の国立国際会議施設は、大谷幸夫の設計で、合掌造がイメージされている。
 京都国際会館では、過去にさまざまな国際会議が開催されてきた。たとえば1997年の「気候変動枠組条約第3回締約国会議」(COP3)は、京都議定書が採択された。また、国連軍縮会議、アジア欧州会合(ASEM)など、重要な国際会議が次々に開催されている。
◆瓦窯跡 1963年、会館建設に伴い、飛鳥時代の瓦窯跡が発掘された。
◆自然 比叡山を望むことが出来る宝ヶ池は、周辺の山々や池を周回する遊歩道が複数あり、散策やジョギングコース、ハイキングコースも設けられている。貸しボートの施設もある。
 池にはかつて、ジュンサイが自生していた。春は約660本のサクラが池の周りに植えられており、名所になっている。また、ツツジ、秋は紅葉を愉しめる。園内には、菖蒲園、桜の森や野鳥の森などがある。


*参考文献 『京都大事典』


   前川(松ヶ崎)      深泥池                   

野鳥の森
30種以上の野鳥が確認され、バードウォッチングもできる。

比叡山と高野川の支流、岩倉川
地下鉄烏丸線・国際会館駅と宝が池公園間のこの付近も、公園として整備されている。

岩倉川、桜咲く頃

紅葉の頃の公園

国際会館の北にある湯川秀樹(1907-1981)の「世界は一つ」の碑。湯川博士は、1949年、日本人初のノーベル物理学賞受賞者。
晩年はラッセル=アインシュタイン宣言(1955)共同宣言者、世界の科学者11人のひとりとして、核兵器廃絶、平和運動にも深く関った。
 宝ヶ池  〒606-0937 京都市左京区松ケ崎北裏町9 
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