土御門天皇金原陵・金原寺 (長岡京市)
Kanegahara No Misasagi,Mausoleum of Emperor Tsuchimikado
金原陵 金原陵
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 長岡京市の金ケ原金原寺(かねがはら こんげんじ)の丘陵地に、第83代・土御門天皇を葬る金原陵(かねがはら の みささぎ)がある。
歴史年表
 鎌倉時代、1231年、第83代・土御門天皇が配流先の阿波国で亡くなる。遺骸は、阿波の池の谷で火葬された。遺骨は、京都に入ることを許されなかった。母の承明門院により、字・金原寺に金原法華堂(金原御堂)が建立され安置される。
 後に、堂宇の管理のために金原寺が創建されたという。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、御堂、御陵も荒廃する。
 江戸時代、金原法華堂は荒廃した。御陵の封土はすでになく、石棺が露出していた。「石塚」と呼ばれる。
 1863年、文久年間(1861-1864)とも、修陵される。寺跡の石塚を御堂跡として土御門天皇陵と定めた。
◆土御門天皇 鎌倉時代初期の第83代・土御門天皇(つちみかど てんのう、1195-1231)。為仁(ためひと)。第82代・後鳥羽天皇の第1皇子。母は内大臣・源通親の娘(実父は法印能円)の在子(承明門院)。1198年、4歳で皇位に就き、父の院政下に置かれた。父・上皇は、異母弟・守成を寵愛し、その命により、1210年、守成親王(第84代・順徳天皇)に譲位した。1221年、承久の乱では、上皇の倒幕計画に関与しなかった。乱後、上皇の配流を聞き、自ら幕府に申請し土佐国に配流になる。後に阿波国に移り、同国で没した。土佐院、阿波院とも呼ばれる。和歌にすぐれ、『土御門院御百首』などがある。
 阿波の池の谷で火葬され、墓所は金原陵(長岡京市)にある。
◆承明門院 鎌倉時代前・中期の女院・承明門院(しょうめい もんいん、1171-1257)。在子(ざいし)。父は法勝寺執行・法印能円(のうえん)、母は第82代・後鳥羽天皇の乳母・藤原範子(範兼の娘)の子。1183年、父・能円が平氏と共に都落し、母・範子が離婚、権臣・源(土御門)通親と再嫁した。在子も通親の養女になる。宰相局と称し、後鳥羽天皇の後宮として、1195年、第1皇子・為仁(第83代・土御門天皇)を産む。為仁は通親に養育された。1198年、為仁が即位し、1199年、従三位、准后になる。この頃、後鳥羽上皇は藤原範季の娘(修明門院)を寵愛した。1202年、院号宣下。1211年、出家し法名真如観と号した。1221年、承久の乱後、土御門天皇の子らを保護・後見した。1242年、鎌倉幕府の後押しにより、その中の第88代・後嵯峨天皇(邦仁宮)が即位した。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 『昭和京都名所図会 6 洛南』『京都おとくに歴史を歩く』


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map  金原陵 〒617-0856 京都府長岡京市金ケ原金原寺(かねがはらこんげんじ)    0:00-10:00
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