山崎宗鑑霊泉連歌講跡・句碑 (大山崎町)
Reisenrengakoato,ruins of the hermitage of Yamazaki Soukan
山崎宗鑑霊泉連歌講跡 山崎宗鑑霊泉連歌講跡
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「この付近 霊泉連歌講跡」の石標



山崎宗鑑句碑、「 うつききてねぶとに鳩や郭公(ほととぎす)」、掛詞を巧みに使い、後の俳諧の基礎になったという。


「天王山 登り口」の石標
 天王山の登り口に、「この付近 霊泉連歌講跡」という石標が立つ。
 この地には、室町時代の俳人・連歌師・山崎宗鑑の連歌講があったという。宗鑑は、山崎に棲み地名に因んで通称名で呼ばれた。
◆歴史年表 室町時代、1502年、「山崎宗鑑」と署名し始め、この頃より山崎に居住したとみられている。天王山下の竹林に庵を結び隠棲したという。離宮八幡宮社頭での月例会の上下連歌会指導、庵での霊泉連歌講を主催した。俳諧の付合を収集した『新撰犬筑波集(しんせんいぬつくばしゅう)』を編んでいる。
 1530年以後、宗鑑は山崎を去ったともいう。
◆山崎宗鑑 室町時代後期の俳人・連歌師・山崎宗鑑(やまざき そうかん、1460頃?/1465‐1540頃/1538/1541/1553?)。詳細は不明。支那範重、範永(範長)。近江生まれ。源氏佐々木氏の出自で、将軍・足利義尚(義輝とも)に出仕、1488年、能勢頼則興行の連歌会に宗祗らと参加し知られる。1489年、義尚が佐々木高頼との合戦に敗れた後、剃髪し入道になる。一休宗純に参禅し弟子になる。尼崎に隠棲、薪、讃岐・観音寺などに住したともいう。1502年、山崎宗鑑と署名し始め、この頃より山崎に移り「冷泉庵(對月庵、妙喜庵とも)」を結び隠棲したという。離宮八幡宮の連歌講とも関り、社頭での月例会の上下連歌会指導、庵での霊泉連歌講を主催した。連歌師・宗長とも酬恩庵で俳諧に興じた。俳諧の付合を収集した『新撰犬筑波集』を編む。身近な題材と卑俗語を用いている。能書家で宗鑑流と称された。1530年以後、山崎を去ったともいう。尼崎に移ったともいう。東福寺の梅谷が住持になった讃岐・観音寺・興昌寺内の「一夜庵」で没したともいう。
 江戸時代、荒木田守武とともに俳諧の祖とされた。
◆宗鑑の史跡 周辺には宗鑑の史跡が残る。
 妙喜庵(大山崎町)は、1524年以後に宗鑑屋敷の草庵「對月庵」を寺に改めたともいう。異説もある。
 関大明神社の辻向かいの森村家は、宗鑑屋敷跡といわれている。「宗鑑井」が残されている。妙喜庵に隠棲し、茶の湯の水に用いたともいう。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 大山崎町文化協会の説明板、『京都大事典』『水無瀬神宮と周辺の史跡』、サイト「Web版尼崎地域史事典」


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map 山崎宗鑑霊泉連歌講跡・句碑 〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎上ノ田1-8
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