椎尾神社・西観音寺 (大阪府島本町)
Shiio-Jinja Shrine
椎尾神社・西観音寺 椎尾神社・西観音寺
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手水舎


手水舎

 島本町のサントリー山崎蒸留所の北に、椎尾神社(しいお じんじゃ)はある。境内の西は信善(しぜん)谷、慈悲尾谷と呼ばれている。
 山崎の産土神として崇敬されてきた。旧村社になる。
 祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、第45代・聖武天皇(しょうむ てんのう、第82代・後鳥羽天皇(ごとば てんのう)を祀る。
 家内安全、心願成就、交通安全、必勝祈願、合格祈願、無病息災、商売繁盛の信仰がある。
◆歴史年表 奈良時代、役小角(634–701)は、この地で苦修錬行し、閼伽谷(あかたに)で呪術により閼伽(ちか)を湛(たたえ)え、堂前の滝に石像の不動尊を安置し、山上に弁才天社を勧請したという。(『摂津名所図会』)
 746年、聖武天皇の勅により、行基が西観音寺を創建したという。現在の境内の西南、山間にあった。天皇の念持仏である千手観音を本尊とし、慈悲尾山信善谷西観音寺と称された。天台宗だった。付近に大谷、中谷、閼伽谷の3つの谷があり、「谷の観音」、「谷寺」とも呼ばれた。(『摂津名所図会』)
 平安時代、伝教大師(最澄、767-822)も山に入りで練行したという。
 寛弘年間(1004-1011)、焼失している。
 1154年、河内の豪族・八戸重忠(はちのへ  しげただ)により再興された。
 後鳥羽上皇(第82代、1180-1239)も、水無瀬離宮より参詣し本尊を拝した。
 鎌倉時代
、1239年、後鳥羽上皇の没後、西観音寺では御忌仏事(2月22日)を催していた。
 江戸時代初期、境内一帯には、総門、七間四面の本堂、法華堂、経蔵、常行堂、三重塔、閻魔堂、12坊もあったという。その後、衰微する。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、仏像、仏器を破却した。その後、閻魔堂は大念寺(大山崎町)に、閻魔大王、眷属・五尊像は宝積寺(大山崎町)に遷される。鎮守社の椎尾神社は現在地に遷される。祭神に椎尾大明神を祀った。
 1872年、村社に列せられた。
 1880年、廃寺になった西観音寺の本堂、聖天堂、鐘楼などは、観音寺(山崎聖天)(大山崎町)に移される。
行基 奈良時代の僧・行基(ぎょうき/ぎょうぎ、668/667-749)。河内国の人。父は高志才智、母は蜂田古爾比売。681年/682年、出家、官大寺で法相宗などを学ぶ。691年、高宮寺で具足戒を受ける。畿内に道場、寺を建立、溜池、溝・堀、架橋、困窮者の布施屋建設などの社会事業を行う。704年、生家を家原寺とし住した。717年、民衆煽動と僧尼令に反した寺外活動の咎で、詔により弾圧を受ける。731年、弾圧を解かれる。732年、河内国狭山下池の築造に関わる。734年、東大寺大仏建立の詔が発布、勧進の任を務めた。736年、インド出身の僧・菩提僊那一行来日に際し大宰府で迎えた。738年、朝廷より行基大徳の称号が授与される。740年以降、東大寺大仏建立に協力する。741年、聖武天皇と恭仁京郊外の泉橋院で会見する。743年、東大寺大仏造営の勧進になる。745年、朝廷より日本初の大僧正位を授けられた。菅原寺(喜光寺)で亡くなる。地図の行基図を作成したという。東大寺「四聖」の一人に数えられる。
◆社号 椎尾神社の「椎尾(しいお)」の号は、「慈悲尾(じひお)」の転訛という。
◆尾上神社 旧地の西観音寺の鎮守だった尾上神社は、当地に遷されている。天照大神(あまてらすおおみかみ)、鴨別雷神(かもわけいかづちのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)を祀る。
◆西観音寺 西観音寺は山崎の西にあった。当社の西南の山間に開かれた。慈悲尾山信善谷と呼ばれ、天台宗だった。平安時代、746年、行基は聖武天皇の勅により創建したという。当山には三つの谷、大谷、中谷、閼伽谷があり、「谷の観音」と称された。
 本尊の十一面千手観音は、天皇の念持仏だった。最上の金色である閻浮檀金(えんぶだごん)像であり、像高一寸八分(5.4㎝)あった。脇士は左に不動尊、右に毘沙門が安置されていた。後鳥羽上皇(第82代、1180-1239)も、水無瀬離宮より参詣し本尊を拝した。
 閻魔堂は当寺の入口にあり、小野篁(おの  の たかむら、802-853)も参詣した。篁は、閻魔王、十王の像を彫刻し、日本3カ所、越中・中野郷、当山、筑後古津郡に安置した。
 鎮守社は、天照大神、八幡宮、春日、山王、大宮、八王子を祀った。(『摂津名所図会』)
◆文化財 「後鳥羽院」位牌は、後鳥羽院中宮・修明門院(しゅうめい もんいん、藤原重子、1182-1264)筆とされる。かつて西観音寺に祀られていた。現在は山崎公民館に移されている。
◆塔頭 現在の一の鳥居までの参道には、かつて、宝泉院、明王院、円修院、橘園院の4塔頭があった。
◆サントリー 境内は、サントリー山崎蒸留所の奥に隣接する。当神社と蒸留所には深い関りがある。
 日本の実業家でサントリーの創業者である鳥井信治郎(とりい しんじろう、1879-1962)は、1923年に実業家・ウイスキー製造者・竹鶴政孝(たけつる まさたか、1894-1979)を現在地(島本村山崎)に招き、日本初のモルトウイスキー蒸留所(山崎蒸溜所)を建設した。
 国産ウイスキーの製造を開始した頃、当神社は荒廃していた。信治郎は村人と協力し、神社を復旧し、蒸溜所の竣工式と同じ11月11日には、寿屋(サントリーの前身)の主催により秋季祭礼を執り行った。
 サントリーのウイスキーの「ローヤル12年」(1960)のボトルの形は、「酒」の部首の「酉(さけのとり/ひよみのとり/とりへん)」の形を模っている。さらに、栓の部分は椎尾神社の鳥居を意匠化したという。その味わいも、信治郎が、鳥居に掛かる桜の花びらを表現しブレンドしたという。信治郎は、1962年に亡くなり、「ローヤル12年」は遺作になった。
◆山吹 境内にはヤマブキが1000株の植えられている。一重、八重、白花、絞り咲き、三種類の葉の斑入りがある。
◆年間行事 例祭(10月18日)、秋季祭礼(11月11日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明標、『水無瀬神宮と周辺の史跡』『北摂歴史散歩』、サイト「サントリー山崎蒸留所」


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拝殿

拝殿

拝殿
 

本殿

本殿

五八郎稲荷大神

五八郎稲荷大神
五八郎稲荷大神  

「桂鼻社」?などの石標
【参照】ローヤル12年の栓の部分、鳥居型になっているという。  
平安京オーバレイマップ
map  椎尾神社 〒618-0001 大阪府三島郡島本町山崎5-1049 
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