熊野神社・聖護院の森 (京都市左京区) 
Kumano-jinja Shrine
熊野神社 熊野神社 
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本殿、社殿は1835年に下鴨神社の旧本殿を移築された。


本殿


本殿







 熊野神社(くまの じんじゃ)は、「白川熊野社」、「熊野権現社」、「権現さん」とも呼ばれている。
 平安時代、院政期(1086-1186)に創祀された「京都三熊野(みくまの)」の一つに数えられた。ほかに新熊野(いまくまの)神社、若王子(にゃくおうじ)神社がある。
 熊野三山別当職を務めた聖護院の鎮守社でもあり、天台宗本山派修験道の守護神として崇敬されていた。旧郷社。
 祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、速玉男命(はやたまのをのみこと)、事解男命(ことさかのをのみこと)を祀る。
 京都十六社朱印めぐりの一つ。京の三熊野神社(ほかに、熊野若王子神社、新熊野神社)の一つ。
 縁結び、建礼門院が祈願し安徳天皇を出産したとして安産祈願、病気平癒、鎮火、厄除、道中安全・守護などの信仰もある。
 授与品は、火の用心お札、熊野牛王、なぎ守り(災厄除)、加楽寿守り、烏絵馬、牛王絵馬、サッカー守りなどが授与される。
◆歴史年表 平安時代、811年、阿闍梨・日円(圓)上人が、この地に紀州の熊野権現を勧請したのが始まりという。(社伝)
 また、1103年、園城寺僧・増誉が、白河上皇(第72代)の意により、白川付近に熊野新宮の御霊を勧請したともいう。(『中右記』)。以後、増誉が建立した聖護院の鎮守社になり、天台宗本山派修験道の鎮護の社になる。
 1112年、熊野新宮祭が行われた。
 室町時代、1396年、3代将軍・足利義満(1358-1408)により、広大な社域を寄進される。(社伝)
 1468年、応仁・文明の乱(1467-1477)に際して社殿は焼失し、その後荒廃する。(『碧山日録』)
 江戸時代、1666年、聖護院宮道寛法親王により再興された。(『坊目誌』)
 1835年、下鴨神社旧本殿が移され、大修造が行なわれた。
 近代、1893年、道路拡張により社地が縮小になる。
 1913年、市電丸太町線開通に伴い、境内は縮小した。
◆熊野信仰 熊野神在祭は古くから行なわれており、「人まねの熊野詣」「蟻の熊野詣」と称された。
 歴代天皇の信仰を集めた。平安時代末期、後白河法皇(1127-1192)は、熊野詣(往復500km、3週間の行程)を度々行い、当社殿を修造し、境内を寄進した。当社は、京の熊野三山(ほかに新熊野社、若王子・熊野権現)の一つとして庶民の信仰も篤かった。
◆牛王法院 当社での祈祷に際して、熊野の「牛王法印(ごおうほういん/ごずほういん)」の誓紙を用いる。願い事の文を「起請文(きしょうもん)」という。神にかけて誓う厳しいものであり、背くと罰を受けるとされた。
 法印には「烏天(うてん)」が用いられており、初代・神武天皇の東征に際して、道案内したという八咫烏(やたがらす)48羽を文字にして星図とした。盗難除け、災除、病気平癒の護符とされた。縁結び、安産、夫婦和合のご利益もある。
◆建築 旧拝殿、拝殿、本殿、社務所などがある。
 
「本殿」は、江戸時代、1835年に下鴨神社旧本殿が移されて大修造が行なわれた。
 「社務所」は、1973年に改築された。
◆文学 中河興一作『天の夕顔』に界隈の描写がある。 
◆八ッ橋 境内に、「八ッ橋発祥の地」として西尾為冶の銅像が立つ。江戸時代-現代の西尾為冶(1879-1962)は、元禄期からの八ッ橋製法に改良を重ね、八ッ橋を京の銘菓に育て「中興の祖」といわれた。国内の賞を初め、パリ万博銀賞を受賞している。碑は、その功績を顕彰するために、平安建都1200年記念(1994)に立てられた。
 八ッ橋の名の由来は、『伊勢物語』、謡曲「かきつばた」の中の故事「三河国八ッ橋」にあるという。夫を失った若い母と2人の幼子が暮らしていた。働きに出た母を追い、子どもたちは橋のない途中の川を渡り溺死した。1人残され悲しんだ母は仏門に入る。ある日、夢枕に僧が現れ、川の入り江に材木があるから、橋を造るようにと告げる。それが子どもたちへの供養にもなるという。翌朝、川に行くと、材木が川に浮いていた。母はそれらを互い違いに並べて、八つの橋が生まれたという。この話に因み、西尾家では江戸時代、1689年、橋の形に似せた米粉のせんべいを生み出し、八ッ橋と名づけたという。
 また、菓子の形は、八橋流箏曲の始祖・八橋検校の琴の形に因み、検校を偲んで作られたともいう。検校の葬られている金戒光明寺(黒谷)の参道にあった茶店では、江戸時代、1689年以来、干し菓子を出しており、その菓子に由来するともいう。検校忌は、毎年6月12日に法然院で行われている。
◆聖護院の森 かつて、社域は広大で、境内南西に鬱蒼とした森が広がり、「聖護院の森」といわれていた。(『山城名跡巡行志』)。1町四方の境内があったともいう。丸太町通の南北に付近には、多くの梅の木が植えられていた。花期には遊宴が催された。現在は、600坪(1983㎡)ほどの境内が残る。
 近代以降、1926年、1943年の市電丸太町線の軌道敷設にともない、境内は大幅に狭められた。それでも境内には、いまもムクノキ、モミなどの巨木が残る。ナギが植えられている。
 なお、錦林小学校にも聖護院森の名残のケヤキ、ムクノキなどがある。
◆京都十六社朱印めぐり 京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)は、1976年に始まり当初は14社だった。古社16社を巡拝し、各社より朱印を授かる。すべての神社を参拝すると一年間のあらゆるご利益が得られるという。専用の朱印帳で期間中に全てのご朱印を受けると干支置物が授けられる。
◆年間行事 初詣(神酒授与)(1月1日-3日)、京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)、節分祭(星祭り)(吉田神社への参詣の折に、当社で台所に貼る「火の用心」のお札を授与してもらうという風習がある。福引、福豆授与、茶菓接待。)(2月2-3日)、神幸祭(氏子大祭)(4月29日)、出輿祭(5月15日)、例祭(神幸祭)(5月16日)、夏越祭(6月30日)、祖霊祭(8月15日)、七五三祭(11月15日)、火焚祭(湯神楽神事)(11月20日)、除夜祭(12月31日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 中』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『続・京都史跡事典』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『京のご利益めぐり』『京都のご利益手帖』『京の福神めぐり』『京都 神社と寺院の森』


  吉田神社      平安神宮     琵琶湖疏水      熊野神社衣笠分社     新熊野神社      若王子神社           


豊臣稲荷大神、金比羅大神


神倉神、須賀大神、春日大神

祖霊殿

地下70mからの湧水

八ッ橋発祥の地、西尾為冶の銅像
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 熊野神社 〒606-8392 京都市左京区聖護院山王町43    075-771-4054  
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