羽束師神社・羽束師の森 (京都市伏見区) 
Hatsukashi-jinja Shrine
羽束師神社 羽束師神社 
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羽束師坐高御産日神社



 鴨川と桂川の合流点の西にある羽束師神社(はつかし じんじゃ)は、かつて羽束師郷(羽束郷)にあった。羽束師坐高御産日(はつかしにいますたかみむすひの)神社とも呼ばれた。 
 祭神は、高御産(たかみむすび)日神、神御産日神(かみむすび)神を祀る。
 ともに創造神であり、古くより五穀豊穣、農耕の信仰を集めた。
◆歴史年表 古墳時代、477年、創建されたとの伝承がある。(『羽束師社舊記』、1827)
 飛鳥時代、567年、桂川の洪水により民が水中にありながら被害がなかったとして、第29代・欽明天皇より、志水、古川など10か村を封戸(ふこ、律令制下の食封<じきふ>の制により、朝廷から授けられた課戸<かこ>)として贈られる。(『羽束師社舊記』)
 飛鳥時代、665年、中臣鎌足が勅により再建したとの伝承もある。
 奈良時代、701、文献初見として「波都賀志(はつかし)神等ノ神稲。自今以後給中臣氏」とある。山背国波都賀志神の神稲に関し、当社の斎田から抜穂して祭人・中臣氏が新嘗(にいなめ)祭を行ったという。(『続日本紀』)
 平安時代、806年、「羽束神四戸山城」とある。(『新抄格勅符抄』)
 808年、斎部広成が第51代・平城天皇の奏聞を得て、天照皇大御神など摂社11社が勧請された。(『羽束師神社旧記』)
 859年、「羽束志神」の名が見え、「遣使奉幣、為風雨祈焉」と記されている。(『三代実録』同年条」)。社は、鴨川と桂川の合流点に位置し、洪水被害も相次いだことから、風水害除けの神としても信仰を集めた。朝廷は雨乞い祈願の神として崇敬した。遣使など渡航の際には、風雨の災難除けに参詣された。
 901年、菅原道真は筑紫・大宰府左遷の折に当社を参詣している。「捨てられて 思ふおもひの しげるをや 身をはづかしの 社といふらん」と詠んだという。(『雍州府志』『乙訓郡誌』)。道真にまつわるという北向見返天満宮が祀られたという。
 927年、「羽束石(はつかし)社(神衹三・祈雨神祭)」とある。(『延喜式』)
 967年、大社となり、四時祭、臨時祭が催され、祈雨神が座したという。(『延喜式』)
 中世(鎌倉時代-室町時代)-近世(安土・桃山時代-江戸時代)、地域の産土神として崇敬を集めた。
 江戸時代、1850年、現在の神明造の本殿、拝殿が再建された。
◆古川為猛 江戸時代の神主・古川為猛(生没年不詳)。羽束師神社神主。1809年-1825年、17年の歳月をかけ、私財を投じ人工水路の羽束師川(12㎞)を開削した。著『羽束師社旧記』(1827)。
◆見返天満宮 境内東の摂社・見返天満宮の創建は、菅原道真に関わるという。
 平安時代、901年、道真が筑紫・大宰府への左遷の際に、草津湊(羽束師橋付近)より出発した。道真は当社を参詣し、都との別れを惜しみ、「捨てられて 思ふおもひの しげるをや 身をはづかしの 社といふらん」と詠んだという。(『雍州府志』『乙訓郡誌』)。その後、その地を社殿にしたという。なお、長岡天満宮にも同様の伝承が残る。
 また、平安時代、1179年、平清盛に関白職を罷免された公卿・近藤基房(1145-1230)は、大宰府下向に際して、鳥羽辺の故川(古川)で出家したという。(『平家物語』)。
◆鳥居 鳥居は住吉鳥居になる。明神鳥居の柱、笠木、島木が角材になり貫が柱内に収まる。1915年の建立による。石造。
◆羽束師 羽束師、羽束の初見は、奈良時代、749年の『正倉院文書』「奴婢帳」であり、「山背国羽束里」と記されている。黒い粘土質の肥沃な土壌のため、古くより「羽束志」には園地4町9段(4.8ha)に、天皇のための果樹、蔬采の園地が広がっていた。(『延喜式』)
 「はつかし」の語源について、「はにかす」の「はに」は「埴土(粘土)」、「かす」は「水に浸し煉る」とされる。付近に赤土、粘土質の土壌が広がっていた。南部粘土・砂地域といわれる地層で、羽束師西部、向日町丘陵南端にかけてある。
 かつて、朝廷直属の「泥部(はつかしべ)」が任じられていた。(『令集解』)。西泥部(かふたのはつかしべ)、西泥土部の本拠は山城国乙訓郡羽束郷にあったという。(『新撰姓氏録』)。彼らは、土器、瓦を生産する部の伴造(とものみやつこ)氏族という。一帯には、令制以前より、これらの生産に関わる集団が居住していたとみられている。羽束師神社は、これらの泥部造、羽束造により祀られたともいう。
 『平家物語』巻二にも平重盛の件で「羽束師」とある。
◆羽束師川 境内西には、西羽束師川が流れている。江戸時代、1809年-1825年の17年の歳月をかけ、当社の神官・古川為猛は、私財を投じ人工水路羽束師川(12㎞)を開削した。沖田勝住、水谷太郎左衛門らも加わる。川は、久我から古川、桶爪、水垂、大下津、山崎を経て桂川に注ぐ。
 新川の開削、古水路の改修、樋門などが設置されたことにより、水害の被害を免れ、それまでの桂川右岸の低湿地帯は耕作地に変わる。古川の偉業を称え、本流、支流は当社に因み、羽束師川と名づけられたという。
◆羽束師の森 鎮守の森は、かつて「羽束師の森」といわれた。歌枕にもなる。初例は、平安時代、913年の「亭子院歌合」の「はづかしの杜のはつかに見しものをなど下草の繁き恋なる」(『五四、凡河内躬恒』)という。
 いまも境内にはクスノキの大木が幾本も植えられ、森の面影はわずかに残っている。
◆年間行事 神幸祭(5月巳日)、例祭(10月18日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京の古代社寺 京都の式内社と古代寺院』『京都・山城寺院神社大事典』『続・京都史跡事典』『京都おとくに歴史を歩く』『京都の寺社505を歩く 下』『鳥居』『京都の地名検証 3』『新日本ガイド14 京都』『京都 神社と寺院の森』


         久我神社       神川神社      長岡天満宮(長岡京市)              

割拝殿の拝殿

本殿

本殿

摂社、左から、貴布禰社、西宮社、愛宕社、厳嶋社、稲荷社、若王子社、

摂社、右から、籠守勝手大明神、大神大明神、春日大明神、八幡大明神、天照皇大神、

稲荷大明神

北向見返天満宮、「菅公筑紫御左遷之時御詠之旧蹟」の碑

北向見返天満宮

北向見返天満宮

北向見返天満宮

境内の大クス

羽束師の森

京都市の史跡指定されている

羽束師坐高御産日神社

羽束師川の碑、かつては久我綴道四ツ辻にあった。その後、ゆかりの地である当境内に移転された。

境内西を流れている西羽束師川
 羽束師神社 〒612-8485 京都市伏見区羽束師志水町  075-921-5991
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