安井金比羅宮 (安井神社)・蓮華光院 (京都市東山区)
Yasui-konpira-gu Shrine
安井金比羅宮 安井金比羅宮
 Home  Home











石鳥居の柱は円柱ではなく角柱。


「安井金比羅宮」の社号標


狛犬、砂岩。








参道、絵馬の道



「絵馬の道」の石碑



手水舎、鞍馬石
 安井金比羅宮(金毘羅宮)(やすいこんぴらぐう)は、安井神社、崇徳(すとく)天皇社、崇徳天王社、藤寺、「安井の金毘羅さん」とも呼ばれた。悪縁を切り良縁を結ぶ祈願所として知られている。祇園、宮川町など花街関係者も参拝した。
 祭神は、第75代・崇徳(すとく)天皇、大物主神(おおものぬしのかみ)、源頼政(みなもとのよりまさ)を祀る。
 崇徳天皇が亡くなる6年前、あらゆることを断ち国家安泰を祈願したとされ、断ちもの祈願、悪縁断ち、悪縁切り、浮気防止、縁結び良縁祈願、商売繁盛、金運、開運、交通安全、航海安全、美願などの信仰がある。 
◆歴史年表 この地下河原(東山安井)には、崇徳院御影堂があった。
 鎌倉時代初期、1200年、第77代・後白河天皇皇女の殷富門院亮子(いんぷもんいんりょうし)内親王は、安井御所(右京区太秦)内に御堂を建て、真言宗の蓮華光院とした。開基は以仁王(もちひとおう)の遺児・道尊僧正による。
 1268年、(建治年間<1275-1277)>とも)、大円は観勝寺内に光明院を再興した。大円はは源頼政の末裔であったことから頼政を勧請したという。
 第83代・土御門天皇皇子の道円法親王(1224-1281)が入寺し、以後、法親王門跡となり安井門跡といわれた。
 その後、衰微する。
 江戸時代、正保年間(1644-1648)、性演が再興している。
 1695年、太秦安井の蓮華光院が現在地へ移される。讃岐金刀比羅宮を模した社殿に、安井門跡・道恕が讃岐国象頭山金比羅大権現の祭神・大物主神を勧請し、蓮華光院の鎮守社とした。
 近代、1873年、蓮華王院は大覚寺山内(右京区)に移される。その後、院は廃絶した。現在地には安井小学校が建てられる。金刀比羅宮は残され、安井神社と称した。崇徳天皇御廟より崇徳天皇の霊が遷され合祀された。
 現代、1945年、太平洋戦争後、安井金比羅宮と改称している。
 1976年、金比羅絵馬館が開館する。
 1978年、縁切り縁結びの碑(いし)が設置された。
◆源頼政 平安時代の武将・源頼政(みなもと の よりまさ、1104‐1180)。源仲正の長男に生まれた。後白河法皇をめぐって藤原通憲(信西)・平清盛と藤原信頼・源義朝とが対立した平治の乱(1159)では、平清盛方につき、平家政権下唯一の源氏となった。1180年、平氏追討のため以仁(もちひと)王をたてて挙兵したが敗れ、三井寺の僧兵とともに落ち延びる途中、平知盛、重盛の軍に追われ、平等院境内「扇の芝」で自刃した。
 鵺(ぬえ)退治の伝説、歌人としても知られる。
崇徳天皇 平安時代後期の第75代・崇徳天皇(すとく てんのう、1119-1164)。顕仁。第74代・鳥羽天皇の第1皇子。母は待賢門院藤原璋子。白河法皇(第72代)の子ともいう。1123年、院政をしいた曾祖父・白河法皇の意により、5歳で皇位を継承する。1129年、白河法皇没後、同じく院政をしいた父・鳥羽上皇と対立した。1141年、鳥羽上皇に迫られ、異母弟・体仁親王(第76代・近衛天皇)が皇位継承する。1155年、近衛天皇が急逝後、崇徳上皇は子・重仁親王の即位を望む。だが、異母弟・雅仁親王(第77代・後白河天皇)が即位し、その子・守仁親王(後の第78代・二条天皇)が立太子となる。1156年、鳥羽法皇没後、崇徳上皇は、左大臣・藤原頼長らと挙兵する。(保元の乱)。平安時代初になった乱に敗れ、讃岐国に配流、その地で没した。死後、天皇初の怨霊(讃岐院怨霊)として恐れられた。 没後、1177年、崇徳院の諡号(しごう)を贈られた。1184年、保元の乱の戦場跡、春日河原には粟田宮(左京区聖護院)が建立される。崇徳天皇が流された讃岐の御陵にも、鎌倉時代に御影堂が建立された。堂は白峰寺が管理し、白峰宮と呼ばれた。1868年、京都に白峰宮(白峯神宮、上京区)が建立された。
◆殷富門院  平安時代後期から鎌倉時代の皇族・殷富門院(いんぷ もんいん、1147-1216)。後白河天皇の第1皇女。1156年、内親王、伊勢斎宮となる。1182年、安徳天皇の准母として皇后と呼ばれる。のち後鳥羽天皇の准母。1187年、院号をゆるされる。1192年、出家、真如観と称した。名は亮子(りょうし)内親王。
◆道尊 平安時代末期の皇族・僧侶の道尊(どうそん、1175‐1228)。後白河天皇第3皇子の以仁王の第2王子。1180年、父の挙兵に際し平家に捕らえられ、仁和寺で出家させられる。殷富門院は蓮華光院に引き取り養育した。1193年、一身亜闍梨に補され、1204年、法印、権僧正に任じられる。1206年、東大寺別当、1207年、東寺長者、仁和寺別当。1209年、僧正、1221年、大僧正に昇進した。土御門、順徳、後堀河天皇の護持僧を務めた。
◆道円法親王  鎌倉時代の皇族・道円法親王(どうえん ほうしんのう、1224/1210-1281/1240)。土御門天皇の皇子。真言宗の僧。1231年、道助入道親王より灌頂を受ける。仁和寺の蓮華光院、西院に住し、西院宮、安井宮と称された。
◆良 鎌倉時代の僧・良胤(りょういん、1213-1291)。丹後に生まれた。実賢(じつげん)に真言密教の三宝院流、金剛王院流を受ける。1268年、岩倉観勝寺の住持となり、中興の祖となる。亀山上皇に灌頂を授けた。字は大円、通称は岩倉上人。
◆道恕  江戸時代江戸時代の僧・道恕(どうじょ、1668-1733)。久我広道の子、鷹司房輔の猶子となる。真言宗。仁和寺蓮華光院で出家、法印大僧都、安井門跡となる。1692年、大僧正、1718年、東寺長者。
◆絵馬 本殿東の金比羅絵馬館は、それまであった絵馬堂を改築し、1976年に開館した。大絵馬など50数点を展示している。
 最も古いのは江戸時代、1792年の江村春甫「意馬心掩猿」(100×137cm)。人の心中を奔走する馬、騒ぎ立てる猿にたとえ、その煩悩が制しがたいことを表し戒めたもの。ほかに江村春甫「牛若弁慶図」。
 江戸時代、1815年の山口素絢筆「双馬図」(66×81cm)は日乞いの白馬(赤馬)、雨乞いの黒馬二頭を描く。素絢(そけん、1759-1818)は円山応挙派の画家。
 江戸時代、1812年の田中日華筆「巴御前図」(152×212cm)は、騎乗の巴御前を描く。本人の寄進による。江戸時代、1814年の親鸞亭筆「玄徳渡檀渓図」(162×114cm)は三国時代、蜀の皇帝・玄徳を描く。近代、1889年「男断ちの絵馬」(69×91cm)の願主は54歳の女性によるという。ほかに、篠原百和「天狗評議の図」、井澤元一筆「櫛まつり」、手塚治虫筆のもの、小絵馬など。
 古くよりの構図である「儲かり絵馬」は、舟に乗る蓑笠の男が、竿先で湖の藻を刈っている。「降る(振る)ほど儲かる(藻刈る)」の縁起を担ぎ、「市芳」の号は「一方」と読む。「降るほど儲かる一方」と洒落れている。
◆縁切り縁結びの碑 縁切り縁結びの碑(いし)が境内に置かれている。1978年に設けられ、代々の「形代(かたしろ)」は一度も除かれていない。現在の高さは2m、幅は3mあり、20万枚の札が貼られている。中央に50cmの穴が開けられている。
 讃岐に流され亡くなった平安時代の崇徳天皇に因んでいる。天皇は、一切の欲を絶ち金毘羅宮に籠り、以来、断ち物の祈願所とされている。また、別離の苦悩より、男女の縁を妨げる悪運を断つという意味も込められている。
 碑の中央に亀裂があり、それを伝い神力が下の穴に注がれているという。まず、願い事を形代(断の御札、叶の御札)に書く。心中にそれを念じながら表の穴を潜る。これで悪縁が切れる。続いて反対側の裏の穴を潜ることで良縁に結ばれるという。最後に願い事を書いた形代を碑に張と成就する。
◆鳥居 鳥居は住吉鳥居になる。明神鳥居の柱、笠木、島木が角材になり貫が柱内に収まる。1914年建立による。石造。
◆蓮華光院 鎌倉時代、1200年、殷富門院の御願により、仁和寺境内に建立された御堂が始まりという。安井御所、安井法華堂とも呼ばれた。道尊が引き継ぎ院家の一つとなる。安井門跡、院号は蓮華光院と呼ばれた。その後、門跡は大覚寺兼帯となりやがて廃絶した。江戸時代、東岩倉山観勝寺旧地・下河原(左京区南禅寺)に道場を建立、安井門跡を復活した。1695年、崇徳院御影堂のあった現在地(東山安井)に、後継の道恕により移される。この時、観勝寺の真性院、光明院も移る。この境内の一角に金毘羅宮が祀られた。両寺は、近代、1873年に大覚寺に移り、1876年に廃寺となる。現在地(東山安井)には御殿が残り、小学校の校舎として使われる。その後、1908年に殿舎は仁和寺に移された。
◆藤 かつて藤の名所として知られていた。境内に第62代・村上天皇「安井の藤」の歌碑が立つ。「まとゐしてみれとも あかぬ藤なみの たゝまくをしき けふにもあるかな」。
 境内には藤棚もある。
◆久志塚 境内の久志(くし)塚は、古い櫛の供養のために築かれた。毎年9月の第4月曜日に櫛祭が行われている。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、川友会纏奉納(1月2日)、初金比羅祭(1月10日)、節分祭(2月節分)、春季金比羅大祭(5月10日)、夏越大祓(6月30日)、櫛まつり(櫛や簪供養、時代風俗行列)(9月第4月曜日)、秋季金比羅大祭(1156年、保元の乱で祟徳上皇を守った武者にちなみ、鎧兜に身を包んだ児童行列が行われる)(10月1日-11日)、秋季火焚祭(11月10日)、終い金比羅祭(吉兆稲宝来は、稲穂に紅白の折鶴、松竹梅などを付した神札で、商売繁盛・家運隆昌・無病息災が祈願される縁起物、終い金毘羅から、1月の初金毘羅の間に授与される)(12月10日)、月次祭(毎月1日、10日)。


*参拝の一般的な順路に従って案内しています。
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『平安の都』『鳥居』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『京都のご利益めぐり』『京のしあわせめぐり55』『京都の自然ふしぎ見聞録』



  祟徳天皇御廟      白峯神宮     建仁寺     法観寺      
 

落語家・桂米朝が呼び掛けて集まったという芸能人の絵馬


金毘羅会館

縁切り縁結びの碑(いし)、石の本来の大きさは、高さ1.5m、幅3m、奥行き50㎝ある。二つの石が合わさり、中央部分に穴が開けられている。現在、参拝者の願い事を書いた形代によりそれ以上に巨大化し、形はかまくら状になっている。花崗岩。

縁切り縁結びの碑(いし)、形代(かたしろ)といわれる紙に願い事を書いて、本殿に参拝後、願うことを念じ、裏側から穴を潜り抜ける。最後に形代を碑に貼り付ける。


縁切り縁結びの碑(いし)、願い事を書く形代。1978年に設置された。2010年頃一部が崩れ一度剥がされた。

縁切り縁結びの碑(いし)、「断」とあり、縁切りは表から穴を潜る。

縁切り縁結びの碑(いし)、「協」とあり、縁結びは「うら」から穴を潜る。

土蔵

土蔵

土蔵

獅子、凝灰岩。


土蔵、狛犬

第62代・村上天皇「安井の藤」の歌碑、「まとゐしてみれとも あかぬ藤なみの たゝまくをしきけふ にもあるかな」。火山灰質粘板岩(貴船石の一種)。

金比羅絵馬館、外に掛けられている大絵馬

金比羅絵馬館、小絵馬


拝殿

拝殿

本殿


厳嶋神社

厳嶋神社の覆屋内、祭神は不明


厳嶋神社

厳嶋神社

厳嶋神社

厳嶋神社

末社、天満宮、祭神は菅原道真

天満宮

天満宮、狛犬は京都で最も古く、江戸時代、1767年建立という。

天満宮、道真の絵馬

久志塚

久志塚(櫛塚)、古い櫛の供養の塚。美願のご利益があるという。櫛祭(9月第4月曜日)、貴船石。

久志塚、「吉川観方小直衣之像」
画家、風俗研究家の吉川観方(賢次郎、1894-1979)は京都に生まれた。京都府立第一中学校、京都市立絵画専門学校、松竹合名会社の舞台意匠顧問として時代考証に携わる。江戸時代の公家、武家、町方の資料3万点を蒐集した。日本画、役者色摺版画、浮世絵、妖怪・幽霊画、染織や小袖などの衣裳、装身具、祭礼などにも及ぶ。資料は現在、京都府立総合資料館、奈良県立美術館、福岡市博物館に収蔵されている。

久志塚

八木力社、八大力尊

八木力社

金毘羅大権現

金毘羅大権現

金毘羅大権現

櫛祭、使い古した櫛や折れた櫛に感謝し、供養する。その後の時代風俗行列では、古墳時代から現代までの地毛で結った髪型と衣装を装った女性たちが祇園界隈を練り歩く。

 安井金比羅宮 〒605-0823 京都市東山区下弁天町70,東大路通松原上る  075-561-5127  9:00-16:00
  Home     Home  
   © 2006- Kyotofukoh,京都風光