二年坂(二寧坂) (京都市東山区) 
Ninenzaka
二年坂 二年坂
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「二寧坂」の碑




竹久夢二寓居跡、階段の最下段にあり現在は「港屋」の屋号がかかる。
 二年坂(にねんざか)は、二寧坂(にねいざか)とも呼ばれている。東山通の東の南北に通じた道で、三年坂(産寧坂)に続く坂道をいう。三年坂に較べてやや小ぶりの坂という意味もある。竹久夢二が住んだ。 
◆歴史 「坊日誌」には江戸時代、1758年に「桝屋善兵衛なる者 官の許可を得て 之を開拓地と為す」とあるという。以後、この周辺は桝屋町の町名となった。
 二年坂の名の由来については、産寧坂の呼び名が三年坂となり、その関連で二年坂となったともいわれている。さらに、一年坂(一念坂、一寧坂)も生まれた。
 ほかにも、平安時代、804年以来、すでに二寧坂と呼ばれていたともいわれる。
◆竹久夢二 近代の画家・詩人・竹久夢二(たけひさ ゆめじ、1884-1934)。茂次郎(もじろう)。岡山県に生まれる。父・菊蔵、母・也須能の次男。1899年、叔父、竹久才五郎を頼り神戸中学校に入学するが在学8カ月で家事都合により中退。一家で福岡県に移る。1901年、家出して上京、1902年、早稲田実業学校、1905年、専攻科に進学。『中学世界』に応募したコマ絵が第一賞入選。専攻科を中退。1907年、岸たまきと結婚。たまきをモデルに「夢二式美人」生まれる。1908年、長男虹之助生まれる。1909年、たまきと戸籍上離婚。1911-1912年、、京都岡崎公園の京都府立図書館で「第一回夢二作品展覧会」を開催、1916年、11月京都へ移る。1918年、京都府立図書館で「竹久夢二抒情画展覧会」を開催。東京に帰り、本郷区菊坂の菊富士ホテルに移る。雑司ヶ谷墓地に埋葬。
 二年坂には画家・詩人夢二が、東京を離れて過ごした寓居跡がある。夢二は、岸たまき(他万喜、1882-1945)と結婚、離婚、同棲、別居を繰り返した。複数の女性と浮名を流した。
 1917年2月1日、夢二が二年坂で次男・不二彦と生活を始めた。間もない3月21日、高台寺門前の借家に引っ越した。6月8日、画学生・笠井彦乃(ヒコノ、1896-1920)が、夢二宅で同棲を始めた。翌年夏、彦乃は九州旅行中の夢二を追い、結核のため旅先の別府温泉で倒れた。その後、父・宗重に東京に連れ戻され、夢二に会えぬまま1920年1月、23歳で亡くなる。彦乃は、夢二が生涯で最も愛した女性だったという。
◆町並み 大正期に現在の家並みになった。周辺は、伝統的建造物群保存地区(1976)に指定されており、石段、石畳の道とともに、むしこ造り町家、本二階建町家などが軒を連ねている。


  三年坂                     

夢二らもよく立ち寄っていたおしるこ店・甘処「かさぎ屋」。

一念坂の碑

二年坂のさらに西にある一年坂(一寧坂)
map 二年坂 京都市東山区清水3丁目付近 

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