佛光寺本廟 (京都市東山区) 
Bukkoji-hombyo Temple
佛光寺本廟 佛光寺本廟 
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山門唐門、明治期(1868-1912)中期に建立。

 粟田口、三条通の南に面して佛光寺本廟(ぶっこうじ ほんびょう)がある。東山廟所ともいう。
 真宗佛光寺派の別院。 
◆歴史年表 鎌倉時代、1272年、東山鳥辺野より親鸞の遺骨を移し、仏閣が建てられことに始まるという。
 江戸時代、元禄年間(1688-1703))、本山20世・尭庸(瑞如)が本山より廟堂を移したことに始まるともいう。
◆御廟屋 御廟屋(おたまや)には、親鸞の遺骨が安置されているという。新しく建てられた光壽堂(納骨堂)、墓も約3000基ある。
◆親鸞 平安時代-鎌倉時代の僧・親鸞(しんらん、1173-1263)。見真大師。京都の日野(伏見区)に長男として生まれた。父は藤原北家の流れをくむ日野有範。母は源氏の出身。幼くして両親を失う。1181年、叔父・日野範綱に連れられ、1181年、9歳で青蓮院・慈円のもとで出家得度し範宴(はんねん)と称した。以後、比叡山横川首楞厳院の堂僧として20年間修行を続けた。東塔無動寺谷の大乗院で修業する。1201年、29歳の時、比叡山を下り、六角堂に参籠、師・源空(法然)の導きにより、浄土教に帰依した。1204年、法然が定めた「七箇条制誡」弟子のひとりとして連署する。1205年、法然は『選択本願念仏集』の書写、法然肖像を描くことを許す。1207年、承元(じょうげん)の法難により、専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)にともない、35歳で越後に流罪になり、僧籍剥奪される。禿釈親鸞と自称する。1211年、赦免され、1214年、42歳で妻・恵信尼、子らとともに関東での布教を行った。晩年、1235年頃、恵信尼らと別れ、末娘・覚信尼と京都に戻る。1256年、長男・善鸞を義絶した。弟・尋有の善法坊で90歳で亡くなったという。浄土真宗の祖。
 浄土真宗の教義が体系化された6巻からなる『教行信証』(1224)などを著した。この年に立教開宗し、「非僧非俗」を宣言した。罪深い身である者は、阿弥陀仏の本願力を信じ、念仏を唱えることが基本であるとした。絶対他力の自然法爾、悪人こそが本願により救われるという悪人正機を唱えた。
◆随如 江戸時代前期-中期の僧・随如(ずいにょ、1641-1721)。准秀(じゅんしゅう)の6男。真宗仏光寺派。左大臣二条光平の猶子、尭恕(ぎょうじょ)入道親王に従い得度。随庸を嗣ぐ。仏光寺門跡。僧正。法名は尭庸(ぎょうよう)。諡は竜秀院。
◆三条宗近 平安時代の刀工・三条宗近(生没年不詳)。永延(987‐989)、京都三条に住したという。三条小鍛冶と呼称された。能の「小鍛冶」中で白狐を相槌に太刀を鍛える。御物の宗近銘の太刀、三条銘の「三日月宗近」太刀がよく知られている。
◆井戸跡 境内には「三条小鍛冶宗近之古跡」があり、刀鍛冶・三条小鍛冶が刀剣を鋳るときに用いた井水跡があったといわれている。(「拾遺都名所図会」)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都の寺社505を歩く 上』『日本の名僧』『京都の自然ふしぎ見聞録』


   合槌稲荷明神      佛光寺                    

御廟屋

御廟屋

御廟屋

三条小鍛冶宗近之古跡の碑、粘板岩
 佛光寺本廟 〒605-0051 京都市東山区粟田口鍛冶町14  075-561-2100
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