滅苦寺跡 (京都市左京区)
The ruins of Metsuku-ji Temple

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 北白川通に面した、京都造形芸術大の北角に古代寺院の「滅苦寺跡(めつくじあと)」の石標が立っている。
 寺は、北白川廃寺の跡を示すという。また、古代の愛宕郡粟田郷で勢力のあった粟田氏の氏寺、粟田寺であったともいう。同区域に独立して存在した別の寺院であるともいう。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 奈良時代前期(7世紀)、または白鳳時代(7世紀後半)に創建されたとみられている。
 鎌倉時代、存続していたと推定されている。
 江戸時代、黒川道祐『雍州府志』 (1686)には、寺は北白川将軍山の西麓にあったという。
 近代、1934年、周辺の発掘調査により、瓦、瓦積基壇が発見された。
 現代、1974年、1975年の発掘調査では、塔跡とみられる正方形の石積基壇が見つかっている。
◆発掘 発掘された瓦には、官営の窯である小野瓦窯(がよう)、栗栖野瓦窯が含まれ、朝廷との関係深い寺院だったとみられている。また、金堂院と塔院が並存する伽藍配置は、7世紀後半、山背北部に建てられた古代寺院の共通する特色であるともいう。
 なお、同時期に、広隆寺、法観寺、北野廃寺などの寺院も建立されている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明板


  北白川廃寺                      
 滅苦寺跡  京都市左京区一乗寺樋ノ口町  

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