下御霊神社 (京都市中京区) 
Shimogoryo‐jinja Shrine
下御霊神社 下御霊神社
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表門








拝殿


本殿
 京都御所の南東にある下御霊神社(しもごりょう じんじゃ)は、古くより御所の産土神とされていた。
 祭神は八所御霊(宇賀御霊大神)の御霊社。伊予親王、その母・藤原吉子(藤原大夫人)、祟道天皇(早良親王、第50代・桓武天皇の異母弟)、藤原広嗣(藤大夫)、橘逸勢(たちばな の はやなり、橘大夫)、文室宮田麻呂(ふみや の みやたまろ、文大夫)、吉備真備(きび の まきび、吉備聖霊)、菅原道真(火雷天神)。旧府社。 
 疫病退散、書道上達祈願の信仰がある。
◆歴
史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、第54代・仁明天皇(在位833-850)により、下出雲寺(しもいずもでら、一条北京極東、上京区)の鎮守社として創建された。かつて出雲路にあったという。
 839年、伊予親王(桓武天皇第3皇子)とその母・藤原吉子(桓武天皇夫人)の慰霊のために創建されたともいう。
 863年、神泉苑御霊会の祭神を下出雲路の地に祀ったともいう。かつて出雲路の御霊神社(上御霊神社)の南にあったことから下御霊神社と呼ばれたという。出雲氏族との関わりがあるとみられている。
 鎌倉時代、1324年、正一位の神階が授けられた。
 室町時代、1427年、足利義持が社殿を寄進する。この頃、新町出水西(近衛、上京区)に移される。(「後鑑」)
 安土・桃山時代、1590年、1589年、天正年間(1573-1592)とも、豊臣秀吉の都市整備に伴いこの地に移転した。
 江戸時代、1625年、本殿は宮中の内侍所が移されたものという。
 1723年、霊元法皇(第112代)が参詣する。
 1728年、霊元法皇が参詣し、願文を納める。京都御所の産土神とされた。
 1788年、焼失している。
 1790年、1791年とも、第119代・光格天皇により内侍所(ないしどころ)が寄進され、復興された。
 1798年、現在の拝殿が建立される。
◆祭神
 平安時代、平安京に人口流入が起こり、衛生状態の悪化は、疫病の流行を頻発させ、多くの死病人が出た。疫病の原因は、政争により都を追われ、非業の死を遂げた人々の御霊の仕業とされ恐れられた。そのため、それらの御霊を神として祀ることで、疫病の退散を願った。
 伊予親王とその母・藤原吉子の二人は、謀反を起こしたとの咎で、大和川原寺に幽閉され、服毒死した。
 そのほかの祭神は、祟道天皇(早良親王、桓武天皇の弟)、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂、吉備真備、菅原道真などを祀り、いずれも御霊神になる。
 
祭神のうち、無実の罪で憤死した早良親王以下6座は、政治的な権謀により非業の死を遂げている。
◆山崎闇斎 江戸時代前期の儒学者・神道家・山崎闇斎(やまざき あんさい、1619-1682)。京都に鍼医の子として生まれた。12歳で比叡山に上る。13歳で妙心寺に移され、土佐藩儒の野中兼山から儒学を勧められた。15歳で僧となり、19歳で土佐・吸江寺に入る。朱子学を学び、1642年、儒教に転向する。1655年、京都で門人に教えた。江戸に出て、京都と行き来する。
 吉川惟足より吉田神道の伝を受け、垂加神道を創始し神儒一致を主張した。門弟は6000人に及んだ。幕末の尊攘思想に影響を与えた。境内に闇斎を祀る垂加(すいか)社がある。
◆出雲路信直 江戸時代前期の神道家・出雲路信直(1650-1703)。山崎闇斎の高弟。1684年、継いで下御霊神社祠官となる。日記に「出雲路信直日記」。
◆常盤井殿 社の付近一帯にはかつて、鎌倉時代の公卿・西園寺実氏(さいおんじ さねうじ、1194-1269)の別荘・常盤井殿があった。
 邸内には泉が豊富に湧き、「常盤井泉殿」、「大炊御門京極水閣」とも呼ばれた。
 幾度か焼失し、その都度再興された。南北朝時代、1336年の焼失以後は再建されなかった。
◆建築 「本殿」(京都市指定文化財)は、江戸時代、1788年に仮皇居の聖護院宮で造営された内侍所(ないしどころ)仮殿を、1790年(1791年とも)に移築している。
 本殿前に、1793年の切妻造の幣殿、さらに同年の唐破風造の拝所が付けられている。幣殿から南北に、1830年の入母屋造の廊がある。本殿、幣殿、拝所、南北廊と、それぞれの屋根が交錯して繋がる社殿構成になる。これは、京都の御霊社特有の建築様式であり、当社は造営年代が古いという。
 「拝殿」は、江戸時代、1798年に建立された。
 
「表門」は、仮皇居の建礼門を移したものという。
◆末社 垂加(すいか)社は、江戸時代、垂加神道・山崎闇斎の門人だった神官・出雲路信直が、末社として山崎闇斎を祀り、顕彰碑を立てた。
◆文化財 江戸時代、1710年の紙本墨書「霊元天皇宸翰御祈願文」一巻(重文)は、行幸祈願の際のもので、朝廷に対する幕府の介入を批判している。京都国立博物館寄託。
◆樹木 オガタマノキは、区民誇りの木に指定されている。サルスベリがある。
◆年間行事 御霊祭神幸祭(5月1日)、下御霊祭(5月第三か第四日曜日)、例祭(8月18日)。


*年間行事の中止、日時変更、拝観時間変更の場合があります。*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都 歴史案内』『京都古社寺辞典』『京都府の歴史散歩 上』『京都の寺社505を歩く 上』『京都 神社と寺院の森』『京都のご利益手帖』『週刊 京都を歩く 44 京都御所周辺』


          行願寺(革堂)      京都御所(京都御苑)      上御霊神社       出雲路橋      神泉苑     山崎闇斎邸跡            

右より八幡社、神明社(内宮、外宮)、春日社、1807年建立。

稲荷社、神殿は1793年建立、拝所は1852年建立。

猿田彦社、垂加社、柿本社

天満宮、江戸時代、1793年建立。

大国主社、江戸時代、1807年建立。

右から斎部社、社家の祖神、大将軍社、高知穂社、愛宕社、日吉社、山王七社

宗像社、宗像三女神(弁財天)を祀る。江戸時代、1825年建立。

名水「下御霊香水」、半世紀ほど涸れていたが復活した。

ケヤキの大木

若宮神輿
下御霊神社 〒604-0995 京都市中京区下御霊前町,寺町通丸太町下る東側  075-231-3530  6:00-20:00

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