宝蔵寺 (京都市中京区)
Hhozo-ji Temple
宝蔵寺 宝蔵寺 
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本堂





中庭
 裏寺町に西面して宝蔵寺(ほうぞうじ)の山門がある。江戸時代の画家・伊藤若冲ゆかりの寺として知られる。山号は無量山という。 
 浄土宗西山深草派。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、空海(774-835)の創建ともいう。
 鎌倉時代、1269年、文永年間(1264-1275)とも、如輪により浄土宗に改宗される。元西壬生郷にあった。
 安土・桃山時代、1581年、玉阿により復興される。
 1591年、天正年間(1573-1592)とも、豊臣秀吉の都市改造により、壬生より現在地に移る。
 江戸時代、1788年、天明の大火で焼失した。
 1864年、禁門の変(蛤御門の変)により焼失する。その後、再建された。
 1932年、現在の本堂が建立される。
 現代、2013年、所蔵の水墨画「竹に雄鶏図」が伊藤若冲の作品であると確認された。
如輪
◆伊藤若冲 江戸時代の画家・伊藤若冲(いとう じゃくちゅう、1716-1800)。京都・錦小路の青物問屋「桝屋(ますや、通称は桝源)」に生まれた。1738年、父没後、4代当主・桝屋(伊藤)源左衛門を襲名した。1751年頃、宝蔵寺に父母の墓をたてる。1752年頃、相国寺の僧・大典顕常より、若冲の居士号を与えられる。大典は若冲を支援した。萬福寺の中国僧・伯珣照浩とも交流した。1755年、40歳で家督を弟・宗巌に譲り、隠居し作画に入る。1758年頃、「動植綵絵」連作着手。1759年、鹿苑寺大書院障壁画を制作する。1764年、金比羅宮奥書院上段の間に描く。1765年、「動植綵絵」「釈迦三尊像」を相国寺に寄進(1770年完了)。宝蔵寺に亡弟・宗寂の墓を立てた。1773年、萬福寺で道号「革叟」を授かる。1766年、相国寺に寿蔵を建てた。1767年、拓版画「乗輿舟」制作。1768年、『平安人物誌』に3番目に名が載る。1774年、若冲らが奔走し、錦市場の再開が許される。1776年頃、石峰寺五百羅漢の石像を制作を開始する。1788年、天明の大火で家を焼かれた。1790年、大坂・西福寺に襖絵「群鶏図」を描く。1791年(1790年とも)頃より、石峰寺の門前に草庵「斗米(とべい/とまい)庵」を結び、深窓真寂禅尼(心寂、末弟・宗寂の妻)と住んだ。斗米翁とも号した。名の由来は、米一斗(14kg)の謝礼で、墨画を描いたためという。一時、相国寺・林光院に住した黄檗宗・売茶翁(月海元昭)が、茶を売り一日の糧を得ていた逸話に倣ったものという。1798年、石峰寺の観音堂に天井画「花卉図」を遺す。1800年、石峰寺に土葬され、相国寺で法要が行われた。
 商いに興味を抱かず、妻帯肉食を拒み、狩野派、中国宋元画、清国・南蘋派に学ぶ。障壁画、画巻、水墨画、木版、拓版画に及び、花鳥、特に鷄の写生に専念する。その画風により「奇想の画家」といわれた。石峰寺境内に墓がある。相国寺には生前墓の寿蔵がある。
◆伊藤宗巌 江戸時代の伊藤宗巌(生没年不詳)。伊藤若冲の弟。号は白歳。「羅漢図」などを描く。墓は宝蔵寺にある。
◆仏像 本堂に安置の本尊「阿弥陀如来」は江戸時代、「元禄十三年(1700年)」の銘がある。
◆文化財 2013年、寺所蔵の水墨画「竹に雄鶏図」は、若冲の40代前半の作であることが確認された。鶏は、右脚1本で立つ。頭を低くし正面を向き両目で鋭く見据えている。鶏の背後、右手より竹が描かれ、せりあがるように見える。
 若冲筆の拓版画「髑髏図(どくろ)」には、黒地に白く2つの髑髏が描かれている。一つは正面を、もう一つは左を向いている。売茶翁の賛「一霊皮袋 皮袋一霊 古人之語 八十六翁 高遊外」がある。宋代臨済宗の僧・大慧宗杲(1089-1163)の故事に因む。宗杲は、骸骨を描いた絵を見た。賛に人を人たらしめているのは、皮袋(肉体)ではないとあった。だが、宗杲は、骸骨そのものが人であり、人たらしめているものも肉体であり、肉体が人たらしめているとした。それを受け売茶翁も、肉体を離れて人足らしめる本質はないとした。これは、86歳の翁が悟るところでもあるとした。縦106.3㎝、横28㎝。
 十六羅漢を描いた白歳宗巌の水墨画(175×37.5cm)がある。ほかに、若冲派として、若演、処冲、若啓、若拙、大光、環沖の作品がある。
 処冲筆「蟹図」、旭応岳陽筆「出山釈迦図」、松林桂月筆「松双鶴図」、紙本墨摺「当麻曼荼羅」、伝・呂紀筆「枇杷鷺猿図」「芭蕉鶴図」、伝・牧谿筆「虎図」、照山元瑶筆の絹本著色「龍頭観音図」、谷文晁筆の絹本著色「山水図」、「盤空厚岸上人有倫老和尚像(8世)」、木村徳応筆「仏来迎図」、「楊柳観音図」、円山応挙筆「山水花鳥人物図巻」。
◆墓 伊藤若冲(1716-1800)は、1751年に両親(父・源左衛門、「桝源」初代、2代・伊藤源左衛門の戒名)の墓を建立した。伊藤宗巌の墓がある。1765年、末弟・宗寂の墓を立てた。
 落語家・笑福亭圓歌(1882-1952)の墓がある。
 牧野省三・先祖塁代墓がある。
◆朱印状 髑髏の紙朱印、朱印帳が授与される。


*普段は非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『京都市の地名』『京都 歴史案内』『若冲の花』『平成28年第52回 京都非公開文化財特別公開 拝観の手引』


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宝蔵寺 〒604-8041 京都市中京区裏寺町587,裏寺町通蛸薬師上る東側  075-221-2076 

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