善妙大明神 (京都市右京区)
Zemmyo-daimyojin Shrine

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善妙大明神


善妙大明神



稲穂大明神
 周山街道沿いの山の中腹に善妙大明神(ぜんみょうだいみょうじん)はある。善妙大明神社とも呼ばれる。 
 祭神は、女神・善妙大明神を祀る。華厳経擁護の守護神とされている。末社は稲穂大明神。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 かつては、善妙寺(ぜんみょうじ)の鎮守社だったという。明恵が新羅国より勧請したという。かつては、高雄小学校の西北にあったという。
 近代、1909年、学舎の新築に伴い、現在地に遷されたという。
善妙寺 善妙寺の創立年代は不明。
 近世までこの一帯の高山寺境内にあり、その後、廃寺となった。
 鎌倉時代、1223年、高山寺別院・尼寺の善妙寺(善妙尼寺)が建立され、善妙神像が祀られた。
 第82代・後鳥羽上皇による鎌倉幕府倒幕の承久の乱(1221)で刑死した中御門宗行の妻(戒光)が、夫の弔いのために建立した。当初は華厳宗だった。
 寺には、尼僧禅恵(藤原光親の妻、開基ともいう)、承久の乱で未亡人になった上皇方の身寄りのない多くの女性が集まった。
 高山寺中興の祖・明恵は、夢中に善妙と遭い、自らを義湘に喩えた。承久の乱の犠牲になった公家の夫人たちを寺にかくまい、仏法を支え華厳擁護者となった善妙を説いた。
 為因寺に、善妙寺ゆかりの宝篋印塔、燈籠が移されている。
◆善妙 唐の美貌の女性善妙と美男の留学僧・義湘についての悲恋伝承がある。
 善妙は、港町に住む長者の娘だったという。ある時、托鉢に訪れた新羅からの留学僧・義湘(ぎしょう、625-702)を見初める。華厳宗を開いた義湘は、自らは僧の身であり、それに応えることはできないとして、仏法を支えるようにと諭した。
 義湘が帰国の途に就く。善妙が港へ行くとすでに船は沖に出航していた。善妙は、義湘のために私財を投じて取り揃えた仏具の箱を船に投げ入れた。自らは投身し、龍身になって義湘の航海を守護したという。(『華厳宗祖師絵伝』義湘巻)


*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『昭和京都名所図会 4 洛西』


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稲穂大明神

境内から東、谷の眺望、眼下に周山街道が走っている。
 善妙大明神 京都市右京区梅ケ畑奥殿町 

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