住吉神社 (京都市下京区住吉町) 
Sumiyoshi-jinja Shrine
住吉神社 住吉神社 
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拝殿


拝殿


拝殿


拝殿
 住吉町の住吉神社(すみよし じんじゃ)は歌道の神として信仰を集める。「住吉さん(すみよっさん)」とも呼ばれている。  
 祭神は天照皇大神(あまてらすおおみのかみ)、田霧姫神(たぎりひめのかみ)、底筒男神(そこつのおかみ)、中筒男神(なかつのおかみ)、表筒男神(うわつつのおかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)、武内宿禰命(たけしうちのすくね)。
 末社の熊丸稲荷神社の祭神は速秋津比売大神(はやあきつひのおおかみ)。人丸神社には柿本人麻呂を祀る。
◆歴史年表 平安時代、1157年、第77代・後白河天皇は和歌の三神を平安京に勧請するため、藤原俊成に勅した。俊成は摂津国住吉より分祀し俊成邸内(下京区、五条室町)に祀り新住吉と名付けたという。(社伝)。また、社名は新玉津嶋神社(にいたまつじんじゃ)であったともいう。以来、和歌所の別当が奉斎した。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失する。
 1566年、第106代・正親町天皇が現在地に遷して再興した。(「坊目誌」)。以来、歴代天皇の崇敬篤く、歌道伝授の際には再興された新玉津島神社とともに勅使が派遣され代拝した。(社伝)
 その後、二度の火災に遭う。
 江戸時代、1769年、公卿・冷泉為村が末社・人麿社(人丸神社)を祀る。
 1788年、天明の大火により焼失した。
 近代、1899年、伯爵・冷泉為紀の呼びかけにより寄付を得て現在の社殿が再建された。(社伝)
◆藤原俊成
 平安時代-鎌倉時代の歌人・藤原俊成(ふじわら の としなり/しゅんぜい、1114-1204)。父は権中納言藤原俊忠、母は伊予守藤原敦家の娘。子に定家。10歳で父に死別、葉室顕頼の養子、のちに本家に戻る。官吏・歌人の藤原為忠の催しに参加、公家・歌人の藤原基俊の門弟になる。1150年、崇徳上皇主催の「久安百首」の作者、1166年、「中宮亮重家朝臣家歌合」などの歌合判者を務めた。公卿・九条兼実の歌道師範。『千載和歌集』(1188)選者、歌論書『古来風躰抄』(1197)など。邸宅が五条通にあったとされ、五条三位とも呼ばれた。東福寺塔頭・永明院に墓所がある。
◆柿本人麻呂 飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、?-710以前?)。人丸。詳細不明。宮廷歌人とみられている。人麻呂作とされる長歌、短歌、旋頭歌などが複数ある。
◆冷泉為村 江戸時代の公卿・歌人・冷泉為村(れいぜい ためむら、1712-1774)。父は上冷泉家の権大納言・冷泉為久。1720年、9歳で元服。1721年、玉津島法楽月次御会に10歳で出詠。霊元上皇から古今伝授を受けた。1738年、従三位、1744年、参議、1750年、権中納言。1752年、従二位、1758年正二位、1759年、正二位権大納言、民部卿を兼ねる。1760年、辞した。1770年、落飾。
 烏丸光栄、三条西公福、中院通躬に師事、多数の門人を育てた。冷泉家中興の祖。
◆冷泉為紀 近代の華族・冷泉為紀(れいぜい ためもと、1854-1905)。為理(ためただ)の子。宮内省御用掛、御歌所参候、伊勢神宮大宮司。1890年、貴族院議員。有職故実に精通、神前結婚式の創始に貢献した。伯爵。
◆人丸神社・人丸信仰 「万葉集」の歌人、飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂を祀る人丸神社には人丸信仰がある。付近の民家の庭より遷された。
 人麻呂は「詩聖」と称され、平安時代の歌人は画像を掲げ歌道の神として信仰した。後に神格化され各地に広がるとともに人麻呂の名が転訛し、「ひと産まる」、「火止まる」など安産、火伏、学業、疫病逃れなどの民間信仰も盛んになった。平安時代-鎌倉時代の武将・平景清(?-1196)とその娘「人丸姫」の再会譚も生まれる。
◆鳥居 本殿、拝殿の間に角柱の神明鳥居が建てられている。近代、1868年に建立された。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、例大祭(5月第3日曜日に神幸祭。第4日曜日に還御祭)、お火焚祭(11月23日)。


*年間行事は中止、日時変更の場合があります。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『鳥居』『京都 歴史案内』



              新玉津嶋神社     俊成社      冷泉家          

本殿

人丸神社

人丸神社

熊丸稲荷神社

熊丸稲荷神社

熊丸稲荷神社

熊丸稲荷神社

手水舎
手水舎
 住吉神社 〒600-8484 京都市下京区西高辻町207-1,醒ヶ井通高辻下る東側  075-351-9280
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