陶匠・青木木米宅跡・弁財天社 (京都市東山区)
The ruins of the residence of AOKI Mokubei  

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かつての敷地に、いまは水を司る弁財天の小祠が建つ。
 祇園白川の畔、川端通の東側に、江戸時代の陶工・青木木米(あおき もくべい)旧宅の碑が立っている。
 木米は、永樂保全、仁阿弥道八とともに京焼の幕末三名人のひとりといわれた。
◆青木佐兵衛 江戸時代の陶工・青木佐兵衛(あおき もくべえ、1767-1833)。青木佐兵衛。祇園新地の茶屋・木屋佐兵衛の長男。幼い頃から儒者・篆刻家・画家・高芙蓉に、鑑識や書画を学んだ。鋳金も初代龍文堂に習う。学者・木村兼葭堂(けんかどう)の蔵書中の一冊に影響され、30歳で陶工の道に入る。陶工・奥田穎川(えいせん)に師事、寶山文造にも従った。1805年青蓮院宮の依頼により、粟田口に御用窯を開窯した。その後、加賀藩前田家の招聘により、九谷焼春日山窯の再生に関わる。
 作品は煎茶器をはじめ、白磁、青磁、赤絵、染付、色絵陶磁器の交趾(こうち)には名品を残した。さらに金襴手染付など多岐にわたり、轆轤(ろくろ)物、薄い型物も手がけた。中国古陶磁、中国物の写し、文人画なども遺した。
 儒者の頼山陽をはじめ、漢詩人・中島棕隠、国学者・上田秋成、画家・呉春、松村月渓谷、田能村竹田らの文人との交流があった。
 鳥辺山の木米の墓碑は、儒者・書家の篠崎小竹の筆により「識字陶工木米之墓」と刻まれている。号は青来、百六散人、古器観、亭雲楼、九九鱗、木米、聾米(ろうべい)と数多い。聾米の号は、登窯に耳を近づけて焼成の温度を確かめていたことにより、つねに耳は腫れあがり、ついに聴力を失った。そのため晩年に名乗った号という。 
 代表作「兎道朝暾図(うじちょうとんず)」(東京国立博物館所蔵)。


*参考文献 案内板、『日本のやきもの 京都』


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 陶工・青木木米旧宅 京都市東山区弁財天町 

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