菊水井跡 (京都市下京区)
Kikusui-i (The well)

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大黒庵武野紹鸚邸跡の碑と井戸跡

 四条室町上った菊水鉾町に、「大黒庵武野紹鸚邸跡」の石標と井戸跡「菊水井(きくすい い)」が残されている。
◆歴史年表 室町時代、この地は夷町と呼ばれ、夷社が祀られていた。境内(現在の金剛能楽堂内)には名水といわれた「菊水の井」があったという。
 室町時代末、茶人・武野紹鴎(たけの じょうおう、1502-1555)が境内の南隣に住んだ。茶亭「大黒庵」を結ぶ。庵名は、恵比寿(夷)、大黒の二福神に掛けたものともいう。紹鴎は、手洗井戸「菊水」を愛したという。
 現代、2007年、石標が立てられ、井戸跡が再現された。この地でのビル建設に際し、井戸遺構である井桁組などが発見されたことによる。
◆菊水 菊水の名の由来は、能楽「菊慈童」、謡曲「枕慈童」、『太平記』にある。
 枕慈童(菊慈童)という中国の仙人は、菊咲き乱れる場所に700年間も生きたという。その枕には『法華経』が書いてあり、菊の葉に経文を写して川の流れに浮かべた。雫は不老不死の薬になったという。このことから、菊水が長寿の象徴とされた。
 井戸の菊水については、牛王地社跡(東山区下河原町)の民家にも残されている。この井戸は、三条小鍛冶が刀を鍛えた井水であるという。
 祇園祭の菊水鉾の名の由来もこの菊水井にある。鉾は、江戸時代末、1864年の大火で焼失し、1952年に再建されている。
◆武野紹鴎 室町時代の茶人・武野紹鴎(たけの じょうおう、1502-1555)。新五郎。法号は紹鴎、道号は一閑、大黒庵と号した。堺の生まれ。父は信久、母は大和の豪族中坊氏の娘。武士・武田信孝の孫。舳松(へのまつ)町に住み皮革を家業とした。連歌を志し上京する。24歳の時、父は四条室町上ル夷堂の隣(現在の金剛流宗家)に屋敷を構えさせ、「大黒庵」と号した。1528年以降、公卿・歌人・三条西実隆に師事。32歳で剃髪、大徳寺・古岳宗亘に参禅したという。36歳で父、師を失い、大林宗套により堺・南宗寺が建立された。墓は堺・臨江寺にある。織田有楽は建仁寺・正伝院(正伝永源寺)に供養塔を立てた。
 茶は村田珠光の「侘び茶」、十四屋宗陳(もずやそうちん)、十四屋宗悟に学ぶ。茶道は禅から起こり、茶の湯が求めることは禅と同一とする「茶禅一味」を唱えた。門人に千利休、津田宗及、山岡宗無、女婿・今井宗久などがある。「大黒庵」の遺構は、堺・南宗寺の天慶院「大黒庵」という。  *紹鴎の「鴎」は正しくは「區+鳥」。


*参考文献 説明板、『京都 歴史案内』『京都大事典』『京都史跡事典』


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 菊水の井  京都市下京区菊水鉾町,四条室町上る   

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