木島神社(木嶋神社)・蚕の社 (京都市右京区)
Konoshima‐jinja Shrine
木島神社 木島神社 
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大鳥居


「蚕養神社」の社号扁額






「式内郷社 木嶋座天照御魂神社」の社号石標


「蚕神社」


「かいこのやしろ」




石灯籠の竿「磐座(いわくら)宮廣前」と刻まれている。


舞殿



拝殿





拝殿
 太秦(うずまさ)の木島神社(このしま じんじゃ、木嶋神社)は、京都市内最古の神社のひとつといわれている。養蚕稲荷神になる。社前の街道は、かつて太子道といわれ、広隆寺へ向かう参道になっていた。
 正式には、木島坐天照御魂神社(このしまにます あまてるみたま の かみやしろ/このしまにます あまてるみむすび じんじゃ)という。境内摂社・養蚕神社(かいこ/こかい じんじゃ)も祀られ、蚕の社(かいこのやしろ)とも呼ばれている。延喜式神名帳に載る旧郷社。 
 祭神は、主神・天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、大国魂神(おおくにたまのかみ)、穂々出見命(ほほでみのみこと)、鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の4座を祀る。 
 かつて、天照国照天火明命(あまてらすくにてらすあまのほあかりのみこと)を祭神とした。また、天照大神(あまてらすおおかみ)、高皇産霊神(たかむすびのかみ)、天日神命(あめのひみたまのみこと)、天照御魂神(あまてるみたまのかみ)ともいう。
 学問、祓いの神である養蚕神社は、養蚕、織物、染色、製糸業者の崇敬を集める。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 古墳時代、5世紀(401-500)後半、渡来した秦氏は、6世紀(501-600)後半に深草から葛野(かどの)に移住したとみられる。
 飛鳥時代、600年頃、渡来人豪族・秦氏によりに創建されたとみられる。土着神を祀り、水の神、ムスビの神、蚕の神とされたともいう。
 701年、「木嶋神」の名があり、社はそれ以前に存在したとみられる。(『続日本紀』)
 奈良時代-平安時代、天候を司る神として信仰され、朝廷の崇敬を受けた。
 平安時代、794年、平安京遷都以後、朝廷よりの祈雨の奉幣が行なわれていた。平安時代に祈雨の神としての信仰があり、『日本三代実録』『梁塵秘抄』にも記述がある。周辺一帯は「木島里」と呼ばれた。門前には市が立ち、遊女もいたという。
 平安時代初期、第52代・嵯峨天皇(在位809-823)の時、学士・大江尹時(おおえの これとき)が社参し、唐代(中唐)、張文成の艶本「遊仙窟」の訓点を、老翁と化した木島の神から伝授されたと伝えられる。
 859年、正五位下を授けられた。(『三代実録』)
 1043年、正一位を授けられたという。(『広隆寺縁起』)
 12世紀(1101-1200)後半、吉野・金峰山、伏見稲荷、石清水八幡宮と並び、木嶋神社には多くの参詣者があった。(『梁塵秘抄』)
 鎌倉時代、1221年、後鳥羽上皇(第82代)が討幕の兵を挙げた承久の乱で、三浦胤義父子がこの地で自害し、社殿に火が放たれたという。
 江戸時代、1780年、三井家祖霊を祀る顕名霊社(あきなれいしゃ)が創祀された。
 1831年、三柱鳥居が再建された。
 近代、明治期(1868-1912)以降、現在の社殿が再建されている。
 1886-1887年、天塚古墳発掘のため、伯清稲荷大神(白清稲荷)(右京区)が遷された。
 現代、1985年、京都市の史跡に指定された。
◆蚕養神社 本殿東隣、東本殿、蚕養神社(こかいじんじゃ、蚕の社)は、養蚕、織物、染色などの技術を有していた秦氏の祖神・蚕養(こかい)の神を祀る。また、保食命(うけもちのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)も祀るともいう。
◆末社
 本殿西の八社、本殿南西の白清社(宇迦之御魂大神)は石室の中に祀られている。かつて天塚古墳(右京区)に祀られており、1886年頃に、古墳発掘に伴い当社に遷座された。その後、天塚古墳の石室内にも伯清稲荷大明神が祀られた。
 ほかに、椿丘社(椿丘大明神)、顕名(あきな)社(三井家祖・三井高安)、魂鎮(たましずめ)神社、三十八所神社、稲荷神社などがある。
◆建築 本殿、東本殿、舞殿、拝所があり、南北方向に一直線に建てられている。すべて近代以降に建てられた。
養蚕 この地が養蚕発祥の地といわれている。
 日本に養蚕が伝えられたのは弥生時代に遡る。稲作とともに中国より伝えられた。4世紀後半-5世紀に渡来した秦氏は、養蚕、機織の技術にも長けた。
 伝承が残る。飛鳥時代、664年、秦河勝は駿河不尽河(富士川)で、大生部多(おおふべのおお)が、蚕に似た虫(アゲハチョウ類の幼虫)を祀り、富と長寿をまねく「常世(とこよ)の神」との信仰を広げたとして懲らしめた。 (「日本書紀」)。秦氏は養蚕技術を独占しており、その技術の拡散を防ぐためのものという。
 また、多々羅西平川原(たたらにしひらかわら、京田辺市)を発祥の地とするともいう。百済よりの渡来人・奴理能美(ぬりのみ)は、養蚕と絹生産を営んだ。第16代・仁徳天皇皇后・磐之媛(いわのひめ)は、奴理能美の邸宅を宮室として住した。「一度は這う虫になり、一度は殻になり、一度は飛ぶ鳥になって、三色に変わる」という珍しい虫(蚕)を見たと記されている。(「古事記」)。京田辺市三山木に「日本最初外国養蚕飼育旧跡」の碑が立つ。
 「蚕ノ島」と「木島」との関連について、「蚕ノ島」より「木島」に転じたともいう。「子の島といふ社」(『承久記』)とあり、「此の島(この特別な聖域)」の意味ともいう。
◆三柱鳥居 本殿西、上段神池に明神鳥居を三基組み合せた「三柱(みつはしら)鳥居」がある。「三柱鳥居」「三脚鳥居」「三面鳥居」ともいう。「京都三珍鳥居」(ほかに、厳島神社破風型鳥居、北野伴氏社石鳥居)の一つといわれる。高さ3.4m。石造。
 三本の石柱を三つの島木と貫でつなぐ。上部より見ると三つの鳥居が正三角形に組み合わさる。基本形は貫の出のない八角形の明神鳥居よりなり、三つの角では笠木が交わっている。
 中央部分に組石があり、幣帛が立てられている。ここは、本殿祭神の神座とされている。三柱鳥居は四方(三方)より神座を拝するために組まれている。
 鳥居は、江戸時代、1831年に再建された。また、享保年間(1716-1736)に修復されたともいう。かつて、三ツ組みの木柱の鳥居だったという。(『都名所図会』、1780年)。鳥居には、三行にわたり刻銘がある。当社再興の際のものとみられている。「山城国葛野郡式内 木島再興日向守神服宗夷太神降水本 天保二年辛卯十月再興神主民部輔神服宗秀」。神主・神服(はっとり)宗夷とは、もとは江尾市兵衛(新町屋台所)と称した。呉服商・越後屋(三井家)が、当社を三井家祈願所として再興した際に、神職株を購入して神主に就けたものという。
 三柱鳥居の解釈について諸説がある。
 ①三井家が三柱鳥居の再建に深く関わっていることから、三井家を象徴して三柱となったという。
 ②三角形は、夏至と冬至の日の出、日の入りの逍拝線上にあるとする見方もある。それぞれに山が当てられている。冬至の朝日は境内東方の稲荷山から昇り、夕日は西方の松尾大社に沈む。夏至は東方の下鴨神社・糺の杜、そのさらに東の延長線上の比叡山・四明嶽から昇り、西方の愛宕山に沈む。
 ③三角形のそれぞれの線上に秦氏ゆかりの社・古墳、南東の伏見稲荷大社、南西の松尾大社、真北の双ヶ丘が配置されているとする。
 正確には北東に比叡山、北西に愛宕山があり、当社境内を含め実際には逆三角形になる。
 ④かつて、鳥居の周辺より清泉が湧き出し、神池(元糺の池)を潤し続けていた。東には禊池跡も残されている。現在の鳥居付近よりの湧水もあったという。この泉を三方より拝するために、三柱三角の鳥居が立てられたともいう。池を磐座(いわくら)とし、祭祀の場として祀られたともいう。
 ⑤秦氏祖先を景教(ネオトリオス派)と関連付け、ユダヤ人と関わるとして日猶同祖論とするものもある。
 ⑦鳥居付近直前でかつて御室川、宇多川が合流し、御室川として流れ下った。川は神事に関していたともいう。
 三柱鳥居について、当社唯一といわれていた。その後、全国に7か所確認された。京都には南禅寺大寧軒の茶庭(非公開)に、明治期に設計された池中の石造の三鳥居がある。
◆元糺 当社と下鴨神社の関わりは深いとみられている。秦氏は鴨氏とも婚姻関係にあるという。当社の周囲の森を「元糺(もとただす)」、「元糺の森」という。(「木島坐天照御魂神社由緒書」)。二つの井泉は地下水脈で繋がっているともいう。
 平安時代、第52代・嵯峨天皇の時(809-823)に、潔斎(けっさい、物忌み)の場がこの地から下鴨神社に遷され、賀茂明神も糺の杜へ遷されたという。そのため元糺の名のみが残された。土用の丑の日に、当社では足つけ神事が行われている。下鴨神社にも同様の神事がある。
◆葵 社紋は、賀茂社と同じく双葉葵になる。
◆野生生物 ナガバヒョウタンゴケ(蘚類、準絶滅危惧種)がある。2015年現在。
◆末社 顕名神社は、三井家の祖・三井高安を祀る。
 魂鎮神社は、鎌倉時代の武将・三浦胤義( ?-1221)を祀る。
 椿丘神社、三十八所神社、稲荷神社などがある。
◆年間行事 御手洗祭・足つけ神事(庶民信仰として、手足を神池の水に浸すと諸病、しもやけ、かっけに効くという。無病息災、諸病にかからないともいう)(7月土用の丑の日)、例祭(10月10日)。
 月次祭(毎月1日)。
 

*年間行事は中止、日時変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京の古代社寺 京都の式内社と古代寺院』『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『京都府の歴史散歩 上』 『続・京都史跡事典』『京都の寺社505を歩く 下』『京都大事典』『稲荷信仰と宗教民俗』『京都の地名 検証3』『京都ご利益徹底ガイド』『鳥居』『洛西探訪』『京都はじまり物語』『京都歩きの愉しみ』


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拝所

フタバアオイの神紋

【参照】フタバアオイの花、葉

拝所

本殿

東本殿、摂社・蚕養神社、本殿の右手

八社、本殿の左手

三柱鳥居(三つ鳥居、三面鳥居)、八角柱を三本立て、笠木、島木、貫などを渡し交差させている。三方正面、上部よりみると正三角形になる。かつて木の柱だったという。
 


三柱鳥居、鳥居の中央に石が積まれ御幣が立つ。「組み石の神座」になっている。鳥居の周辺にかつて湧水があったという。

元糺の池、泉水

元糺の池

狛狐

石橋

末社、白清社・宇迦之御魂大神

白清社・宇迦之御魂大神

白清社・宇迦之御魂大神

白清社・宇迦之御魂大神

不明

不明

不明

元糺の森
平安京オーバレイマップ
map 木島神社 〒616-8105 京都市右京区太秦森ヶ丘町  075-861-2074
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