空也寺 (京都市下京区)
Kuya-dera Temple
空也寺 空也寺 
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お宮参 り、七五三時、子を穴に潜らせると元気に成長すると伝えられる。
 寺町通南の空也寺(くうやでら)は、山号は光勝山という。光勝とは空也が比叡山で天台座主・延昌ので受戒した号に因む。
 浄土宗、本尊は阿弥陀三尊像。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細不明。
 平安時代、972年、空也の開基とされる。当初は綿小路西洞院(中京区空也町)にあり、天台宗に属した。(寺伝)
 平安時代中期、空也が建てた櫛笥道場に源があるともいう。
 室町時代、寺に鉢叩きが集まる。鉢叩きとは、瓢箪を打ちながら、頌文を唱え教化する最下層の宗教者の集団をいう。
 その後(年代不明)、敬蓮社見誉により、中興され、浄土宗に改宗したという。(「山州名跡志」)
 安土・桃山時代、1591年、豊臣秀吉の都市改造により現在地に移転させられた。(「山州名跡志」)
 江戸時代、寛永年間(1624-1643)、道場は東山の西光寺(六波羅蜜時)に移転したともいう。
 1788年、天明の大火で焼亡し、その後再興される。
 1850年、類焼した。その後、仮堂となる。
 近代、1904年、本堂が再建された。(「坊目誌」)
◆空也 平安時代中期の浄土教の僧・空也(くうや、903-972)。詳細不明。第60代・醍醐天皇の第2皇子として生まれたともいう。寺を持たず常に市井にあったことから、市聖(いちのひじり)、弘也、阿弥陀聖、市上人とも呼ばれた。幼少より在家の優婆塞(うばそく)として全国を遍歴した。919年、17歳で市中の遺骸を念仏を唱えながら埋葬した。924年、尾張・国分寺で出家し沙弥空也と名乗る。播磨、奥州、四国で修行し、934年、奥羽にも布教した。938年以来、京都で念仏を広める。939年、空也堂を開く。948年、比叡山・天台座主延昌から受戒し、光勝の法名を得たが、終生空也と名乗った。951年、都に流行していた悪疫退散のために、自ら十一面観音を刻み、車に乗せ市中を曳き廻した。病人に茶を授け、歓喜踊躍の念仏踊で病魔を鎮めた。病人は平癒したという。その典茶・皇服茶(おうぶくちゃ、王服茶)は、身分の隔てなく分け与えられた。その時の踊躍は六斎念仏として今も伝わる。963年、金泥『大般若経』 600巻の書写事業を完成させている。鴨川河原に一寺(のちの西光寺、六波羅蜜寺とも)を建て供養会を行う。東山の西光寺(六波羅蜜寺)で没した。墓は全国に複数ある。東山・西光寺で没した。
 各地で橋を架け、道路や井戸の整備、遺棄された骸を火葬して荼毘(だび)にふすなどの社会事業も行った。空也の菩薩行は行基につながる。称名念仏により、既存の国家、権勢、知識層の仏教から庶民の仏教を唱えた。後の法然、親鸞の専修念仏に影響を与える。一遍は空也を崇敬した。 
◆本尊 本堂の本尊は雲の形をした光背を持つ木造の阿弥陀三尊像。また、南脇壇に空也上人像を安置する。
 釈迦堂に安置の釈迦如来像は、藁で縛り祈願すと「おこり」(熱病?)が治るという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『日本の名僧』


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 空也寺 〒600-8033 京都市下京区恵美須之町  075-351-1857
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