二十六聖人発祥の地・南蛮寺・妙満寺 (京都市下京区) 
Twenty-six Martyrs of Kyoto,Namban-dera Temple
二十六聖人発祥の地 二十六聖人発祥の地
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妙満寺町にある「妙満寺跡・二十六聖人発祥之地」の碑、1979年7月建立。岩上通綾野小路角。 


フランシスコの家


フランシスコの家には南蛮寺の絵、日本二十六聖人殉教関連の資料、細川ガラシャの遺品などさまざまなキリシタン史資料、書籍などが展示されている。


フランシスコの家、キリシタン灯籠


フランシスコの家、庭園遺構ともいう。右にキリシタン灯籠、左に洗礼盤らしきものがある。


かつて付近にダイウス町があったという。


「二十六聖人発祥の地」の銘板、京都四条病院


【参照】京都四条病院
 京都四条病院(堀川四条下ル東側)の壁面に「SUS OBRAS HABLAN  二十六聖人発祥の地」の銘板がかかる。"SUS OBRAS HABLAN "とはスペイン語で、「彼らの功績を語る」という意味になる。 
 病院の西には、「妙満寺跡・二十六聖人発祥之地」(妙満寺町)の碑が立つ。付近にはかつてキリシタンが住む町があったという。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1576年、織田信長は南蛮寺の建立を許可している。蛸薬師通、室町通と新町通付近に礼拝堂が建てられた。付近には、数十軒の家があった。200人のキリシタンが住み、「だいうす(デウス=神)町」と呼ばれた。
 安土・桃山時代、1593年、フランシスコ会のペトロ・パブティスタ神父ら4人のフランシスコ会士は、ルソン(フィリピン)総督初の使節として日本に派遣される。すでに豊臣秀吉による天正禁令(1587)というキリスト教禁止令が出されていた。秀吉は、妙満寺跡(四条堀川付近)の広大な土地を彼らに与えた。妙満寺は現在の京都市役所北市営駐車場付近に移される。
 1594年、フランシスコ会は下層の人々に布教を行った。ペトロ・パブティスタ神父により、聖マリア教会、病院、学校、ルソン使節館などの施設が建てられる。聖アンナ病院(院長・レオ烏丸、50人収容)、後に聖ヨセフ病院(院長・パウロ鈴木、80人収容)が建てられる。病院は、京都初の西洋式の施設であり、貧民、ハンセン病患者たちが収容された。神父、フランシスコ会士、日本人イエズス会士、信者らはここで日常的に活動を行った。修道院近くに、200人以上のキリシタン信者が移り住む。教会は「南蛮寺」、町は「ダイウス町」、信者達を「諸天使の元后の町」(ロス・アンジェルス)と呼んだ。
 1596年、難破したスペイン船が土佐浦戸に入港したサン・フェリペ号事件後、秀吉はスペイン軍による日本侵略を恐れ、キリシタンの捕縛を命じる。 
 1596年、秀吉は再びキリシタン禁教令を発した。
 1597年、京都奉行・石田三成は、京都のダイウス町などのフランシスコ修道会の神父、5人のフランシスコ会士、17人の日本人イエズス会士、信徒を捕えた。信者は小川通牢屋敷のキリシタン牢に収容された。1月3日(新暦)、牢獄より引き出され、一条の辻のある寺院で信者全員の左の耳たぶ(鼻、両耳とも)を削がれた。その後、8台の牛車に乗せられ、市中引き回しをされる。信徒は、伏見より舟で大坂に送られ、翌日、大坂、堺での市中引き回しが行われた。
 1597年1月9日-2月5日、信者たちは堺より長崎へ向け、800kmの道のりを28日間かけて徒歩で連行された。
 1597年2月5日、26人(途中で2人が自主的に加わる)の外国人、日本人信徒らは、長崎・西坂の丘に到着する。十字架に即刻架けられ、槍により処刑された。遺骸はそのまま80日間晒された。(二十六聖人殉教)
 現代、1979年、在日スペイン大使館、カトリック京都司教区、京都府医師会有志により京都四条病院壁面に銘板が設置され、関係者によりその除幕式が催された。
◆聖ペトロ・バプチスタ神父 室町時代-安土・桃山時代のキリシタン神父・聖ペトロ・バプチスタ・ブラスケス(?-1597)。スペイン生まれ。フランシスコ会士。1593年、フィリピン総督特使として平戸に上陸、肥前・名護屋城で豊臣秀吉と会見した。日本で初めてフランシスコ会の伝道を行う。京都で妙満寺跡教会や病院を建設し、「ハンセン病者の父」と仰がれた。1596年、土佐に漂着したサン・フェリペ号の一件で秀吉が怒り、修道士らの処刑を命じた。神父も京都で捕縛され、二十六聖人殉教者の中心人物として処刑された。48歳、54歳ともいう。
◆パウロ三木 室町時代-安土・桃山時代のキリシタン・パウロ三木(1564?-1597)。摂津、阿波の生まれともいう。父はキリシタン武将・三木半太夫。武士であり、幼くして洗礼を受けた。安土のセミナリヨ(小神学校)に第一期生として入学。成績優秀でイエズス会に入会し、宣教師となる。1597年、大坂で捕縛され、小川通座敷牢に収容された。ほかの25人とともに長崎西坂の丘に送られ処刑された。最期の時まで説教し続けたという。
 カトリック教会の聖人、二十六聖人の一人として殉教。33歳?。
◆ルドビコ茨木 安土・桃山時代のキリシタン・ルドビコ茨木(?-1597)。尾張出身。二十六聖人殉教者のレオ・茨木(烏丸)の子。殉教者の中で最も若い。二十六聖人殉教のパウロ茨木、レオ烏丸の甥。京都で捕縛された。長崎への連行途中でも快活に振る舞っていたという。12歳。
◆フランシスコ 安土・桃山時代のキリシタン医師・フランシスコ(?-1597)。朝鮮の役に医師として従軍し、その際に入信した。帰国後、修道院で受洗、聖ヨセフ病院で診療に従事した。大名に仕えていたため、当初は二十六聖人より除外されていた。奉行所に赴き信者迫害を抗議したために投獄された。長崎西坂の丘で処刑された。46歳。
◆サン=フェリペ号事件 1596年、フィリピン・マニラを出航したスペインのガレオン船サン・フェリペ号は、東シナ海で台風被害を受け土佐浦戸に漂着した。船長・ランデーチョは、豊臣秀吉に保護を求め、乗組員は宿に留め置かれる。日本側の奉行・増田長盛は、積荷と船員の所持品などを没収する。日本はスペインによる日本征服を恐れ、同船していたフランシスコ会などスペイン系宣教師らは投獄され、後に処刑された。
 乗組員の度重なる申し出により船は修繕され、1597年日本を出航、マニラに到着した。スペイン政府は事件の詳細な調査を行い、使節を日本に派遣、日本側に積荷返還と1597年の二十六聖人殉教した宣教師らの遺体引渡しを求める。日本はこれを拒否した。
 事件はフランシスコ会修道士らが処刑された二十六聖人の殉教に影響したといわれている。ただ、当時のキリシタン各派間の確執、秀吉の周辺事情など、複合要因により引き起こされたともいわれている。
◆二十六聖人殉教 安土・桃山時代、1597年2月5日、26人のフランシスコ会の信者が長崎・西坂の丘で十字架に架けられ、槍により処刑された。遺骸は そのまま80日間晒された。
 その内訳は4人のイスパニア人、1人のメキシコ人、1人のインド生まれのイスパニア人らフランシスコ会の修道士、日本人信者20人のうち、4人の京都出身者のほか、尾張、伊勢、大坂、摂津、岡山、長崎、五島の出身者になる。判明している年齢は12歳から64歳まで、3人の少年が含まれている。伝道師、説教師、僧侶、武士、医師、職人、商人などさまざまな職種だった。京都での捕縛者は16人、大坂は8人、道中の岡山での捕縛者は2人になる。 
◆京都のキリシタン弾圧 近世以降の京都のキリシタン弾圧としては、1597年の「日本二十六聖人殉教」のほかに、1614年には、京都で日本初のベアタス修道女会(1603)を創設したジュリア内藤ら148人の信者が、マニラ、マカオ、津軽などに追放されている。同年、残された修道女ら15人は、二条河原で藁に簀巻きにされ、拷問、処刑された。
 1619年の「日本の三大殉教」の一つである52人(獄死者は8人)が犠牲になった「京都の大殉教」(京都大殉教、元和キリシタン殉教)もある。
◆フランシスコの家 「妙満寺跡・二十六聖人発祥之地」の碑の北に、「フランシスコの家」という小さなキリスト教文化資料館が建てられている。館内に、キリシタン弾圧の歴史資料が展示されていた。2012年6月に一時閉館した。
 かつてこの周辺には南蛮寺、修道院、病院、教会などの施設が建ち並んでいたという。
◆妙満寺 妙満寺とは、寺町通押小路東北角にあった。顕本法華宗本山であり、山号は妙塔山と称した。南北朝時代、1383年に天台宗から改宗した日什(にちじゅう、1314-1392)により創建された。安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)にこの地に移る。現在は左京区岩倉に移っている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京のキリシタン史跡を巡る 風は都から』『京都の監獄史』『日本二十六聖人殉教者への連祷』『京の医史跡探訪』『増補版 京の医史跡探訪』『京都歴史案内』


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 「二十六聖人発祥の地」銘板 京都市下京区四条堀川町
 「妙満寺跡・二十六聖人発祥之地」碑 京都市下京区妙満寺町周辺

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