西院春日神社(春日神社)・還来神社 (京都市右京区)
 Sai-in-kasuga-jinja Shrine
西院春日神社  西院春日神社
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拝殿


本殿


本殿



本殿




 西院春日神社(さいいん かすが じんじゃ)は、春日神社とも呼ばれている。西院の産土神として知られている。
 祭神は、春日四座大神の建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわひぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)。
 西大路七福社ご利益めぐりの一つ、厄除。京都十六社朱印めぐりの一つ。
 病気厄除、病気平癒、交通旅行安全の信仰がある。還来神社は旅の安全の信仰がある。御朱印(本社、還来神社、西院野々宮神社)が授けられる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代初期、833年、第53代・淳和(じゅんな)天皇が譲位後、淳和院(西院)に移る。奈良・春日四座大神を勧請し、院の守護神としたのに始まるという。
 淳和天皇皇女・崇子内親王(?-848)の疱瘡が神前の霊石で治り、病気平癒の神として崇められたという。
 江戸時代、歴代天皇が健康祈願を行う。
 現代、1983年、西大路福社ご利益めぐりが当初は5社で始まる。
 1984年、西大路福社ご利益めぐりが7社になりその一つになる。
◆淳和天皇
 平安時代の第53代・淳和天皇(じゅんな てんのう、786-840)。名は大伴。西院帝。後太上天皇とも称された。父は第50代・桓武天皇の第3皇子、母は藤原百川の娘・松子(贈皇太后旅子)。810年、平城太上天皇の変(薬子の変)により、兄・平城上皇(第51代)は失脚、そ の皇子・高岳(たかおか)親王(真如)は廃太子された。嵯峨上皇(第52代)の信頼篤く、皇太弟となる。823年、兄で第52代・嵯峨天皇の譲位により即位した。このため、大伴氏は、天皇へ の配慮から伴氏と改めた。824年、検非違使庁設置。826年、上総、常陸、上野を親王任国と定める。833年、第54代・仁明天皇が即位し、淳和上皇の皇子・恒貞(つねよ)親王が皇太子となる。自らの譲位後、皇太弟時代の離宮南池院(西院とも)を整備した、後院の淳和院(京都市右京区西院淳和院町付近)に移った。詩文集や法典整備の編纂などに関わる。
 遺言により山陵は築かれず、大原野山中に天皇としては前代未聞の散骨が行われた。御陵は大原野西嶺上陵(西京区)になる。なお、842年、嵯峨上皇没後、皇子・恒貞親王は廃位になった。(承和の変)。
◆崇子内親王 平安時代の皇女・崇子内親王(たかこ ないしんのう、?-848)。第53代・淳和天皇の皇女、母は橘船子。詳細不明。835年、内親王。
◆淳和院 平安時代、833年、淳和天皇は譲位後、皇太弟時代の離宮南池院(西院とも)を整備し移り住んだ。淳和院と呼ばれ、仙洞(退位した天皇の御所)と定めた。淳和院は、四条大路(四条通)の北、道祖大路(佐井通)の東にあり、南北516m、東西252mの敷地があった。
 840年、上皇は淳和院で亡くなり、その後は皇后・正子内親王(809-879)が御所としている。その後、尼僧の道場となり、淳和院を寺号とした。874年に焼失している。後に再建されている。
 近年の周辺(ジョーシン1番館)の発掘調査(1992-1993)により、掘立柱建物跡群、測溝、門跡などが見つかった。また、瓦、土師器、須恵器、灰釉陶器、金物の製作工房跡とみられる出土品なども発掘されている。
 現在、境内には、「淳和院礎石」とされるものが残されている。また、高山寺(四条通西大路東入ル)の門前脇には、「淳和院跡」の石碑が立てられている。
◆摂社 還来(もどろき)神社は還来大神を祀る。旅行安全・還来成就の守り神として知られている。 
 874年、淳和院が火災となり、正子内親王は松院に移った。その後、洞裏院に還ったことは「神の加護である」として、後に人々は還来の大神と称えた。以来、旅の安全を守護する神として崇められた。また、健康、失ったものなど大切なものが戻る神とされる。
 古くより、祈願・御礼にわらじ奉納の慣わしがある。第二次世界大戦時には、出征兵士の生還を願う家族が多数訪れた。
◆御胞衣 江戸時代の第120代・仁孝天皇(1800-1846)の「御胞衣(おえな)埋蔵之地」の石標が立つ。1800年、仁孝天皇誕生の際に、吉方にあたる当社に御胞衣(胎盤)が埋められた。これは、宮中の慣わしで、健やかな成育を祈願するものだった。
 安産や子授け、母体の健康、乳幼児の健やかな成育を祈る風習がある。
◆霊石 平安時代、淳和天皇皇女・崇子内親王(?-848)が天然痘(疱瘡、ほうそう)を患った。この石に祈願したところ、石が身代わりとなり病は平癒したという。以後、「疱瘡石」と呼ばれ、病の平癒をもたらす霊石とされた。石は、都に疫病が流行る前に、必ず表面が濡れたという。
 江戸時代、歴代天皇により病気平癒・無病息災の守り神と崇められた。石は失われていたが、数年前に偶然に発見され、いまは毎月1日、11日、15日に公開されている。
 摂社・還来神社前にある梛石(なぎいし)は、「撫石さん」とも呼ばれている。石を撫で、旅行安全、患部を摩り健康の回復を祈る。
◆樹木 還来神社にナギがある。
◆西大路七福社ご利益めぐり 西大路七福社ご利益めぐりは、西大路通周辺にある7社を正月元旦から2月に巡拝し朱印を受ける。1983年に当初は5社巡りで始まり、翌1984年に7社になった。
 安産祈願のわら天神宮、開運の平野神社、延命長寿の熊野神社衣笠分社、建築方除の大将軍八神社、厄除の春日神社、開運の若一神社、知恵・学問の吉祥院天満宮がある。
◆京都十六社朱印めぐり 京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)は、1976年に始まり当初は14社だった。古社16社を巡拝し、各社より朱印を授かる。すべての神社を参拝すると一年間のあらゆるご利益が得られるという。専用の朱印帳で期間中に全てのご朱印を受けると干支置物が授けられる。
◆年間行事 初詣(10時-16時にお神酒接待)(元旦-1月7日)、若菜節句祭(若菜粥接待、無病のご利益がある白馬飾の公開、風邪除けの勝運守り授与)(1月7日)、京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)、夏越の大祓(6月30日)、夏越祓(6月30日-7月1日)、春日祭(無病息災、五穀豊穣を感謝する祭で、御輿2基(東組「千木」、西組「卯ノ鳥」)が出御する。翌日は御輿、剣鉾5基の総勢1000名が巡行する。神輿は、還御直前に拝殿を三度回る「西院の拝殿回り」が知られている。西院野々宮(ののみや)神社(野々宮神社)は、西院春日神社の御旅所となっている。)(10月第2土、日曜)。 


*年間行事は中止、日時、内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 上』『京都大事典』『平安の都』『京都の自然ふしぎ見聞録』『京都 神社と寺院の森』『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『京都のご利益手帖』『京の福神めぐり』『京都の隠れた御朱印ブック』


   関連・周辺西院野々宮神社(野々宮神社)    関連・周辺淳和院跡       関連・周辺大将軍八神社      関連・周辺若一神社       関連・周辺高山寺(右京区西院)       関連       周辺          

春日若宮社、祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)。幼児擁護。幼児病気平癒、幼児能力開発の信仰がある。


還来(もどろき)神社は還来大神を祀る。

住吉社、祭神は底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、大帯姫命(おおたらしひめのみこと)。農作豊穣、祭日は7月28日。平安時代、貞観年間(859-877)には、正子内親王の松院(寺ノ内町)に祀られていた。

西院宮、祭神は第56代・清和天皇。祭日は5月8日、家内安全。淳和天皇没後、大原の御陵より御霊を遷し西院の祖神となった。

弁財天、稲荷大明神
弁財天、祭神は市杵島姫命、田心姫命(たこりひめのみこと)、湍津姫命 (たぎつひめのみこと)、稲荷社は宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)、金運財運、技芸上達。
弁財社は、厳島神社の分霊で、旧くは太秦に鎮座し、後に現在地に遷された。
稲荷社社殿内には、生きているかのような白狐が祀られているという。 

右より、金刀比羅宮、大物主命(おおものぬしのみこと)、第75代・祟徳天皇、招福除災、金刀比羅宮よりの分霊。大元宮、天御中主神、心願成就。天満宮、菅原道真、学業向上。猿田彦社、猿田彦命、宇豆女命、道中安全、盗難除け。

仁孝天皇御胞衣塚
疱瘡石
梛石も、チャート(珪質頁岩)

淳和院礎石

一願蛙、3匹蛙(三かえる、見返る)として水をかけて祈願する。

梛(なぎ)の神木、災難除け、鏡の下に敷き夫婦和合のお守りとする。

春日祭

【参照】高山寺(四条通西大路東入ル)にある淳和院跡
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 西院春日神社 〒615-0015 京都市右京区西院春日町61   075-312-0474
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