明王院(松原不動) (京都市下京区)
Myoo-in Temple
明王院(松原不動)  明王院(松原不動)  
50音索引  Home 50音索引  Home




「南岩倉」の扁額が掛かる。



 鴨川の西、松原通に面した明王院(みょうおういん)は、山号は青蓮山という。不動寺とも、松原通にあるため松原不動(まつばら ふどう)ともいわれている。 
 真言宗東寺派。本尊は、平安時代初期の弘法大師(空海)が自作したという石仏不動明王を安置する。
 無病息災、交通安全の信仰を集める。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 飛鳥時代、朱雀年間(684-685)、道観大徳が開基し、当初は法相宗(ほっそうしゅう)の寺だった。開創当時、一帯は鬱蒼とした松林だったという。
 平安時代、794年、平安京遷都の際に第50代・桓武天皇は、王城鎮護のために平安京の東西南北に四つの磐座を定めた。明王院はその一つとされ、「南岩倉」と称されたという。空海(弘法大師)は石仏を造り丘に安置したという。また後に、弘法大師作という石仏不動明王を安置し、現在の宗派に改宗したともいう。
 天暦年間(947-957)、鴨川氾濫により堂宇が流される。その後、勅を受けて比叡山の苔莚(あいえん)法師により再興されたという。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)後に荒廃し、石像も塵芥に帰したという。
 安土・桃山時代、1586年、豊臣秀吉は、当寺の苔むした本尊・不動明王を知り、聚楽第に遷したという。だが、不動明王が夜な夜な霊光を放ったため、再び旧地に還され、この地に堂舎を建て奉安したという。
 近代、太平洋戦争末期、空襲に備え、本尊を本堂下の磐座に遷す。
 現代、2012年、牛若丸・弁慶の旧「五条大路」活性化の一環としてご開帳を盛大に執行した。
◆本尊 平安時代初期の空海(774-835)作という「石像不動明王」を本尊とする。
◆岩倉 平安遷都(794)の際に、都の東西南北にそれぞれ岩倉(磐座)が設けられた。各岩倉には、東・青龍、西・白虎、南・朱雀、北・玄武の四神を祀ったという。また、王城鎮護のためとして、第50代・桓武天皇は詔勅により、都の四方に経巻を石蔵に納め、埋めさせたという。そのうちの一つが当地であり、南岩倉といわれたという。
 江戸時代の『京羽二重織留』(1685)には、「南方の岩倉其の所さだかならず、一説には王城の南方は雄徳山(おとこやま、男山)なり、しかれどもこの山八幡の神地なれば仏経を納めがたし」とも記されているという。
 東岩倉は大日山(左京区)、また南岩倉は当地とも男山(八幡市)とも、西岩倉は金蔵寺、北岩倉は山住神社(左京区岩倉)ともいわれている。 
 

*参考文献 当院縁起

 
  関連・周辺      周辺松原橋      関連山住神社      関連金蔵寺                
 明王院(松原不動) 〒600-8047 京都市下京区石不動之町675      7:00-20:00
  Home     Home  
 © 2006- Kyotofukoh,京都風光